第1章

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 いったい何を思って、源氏の君はわたくしをめとったのだろう。  陰惨な政治の世界、権力闘争や駆け引きに疲れ果て、仏の道へ入ろうとしたお父さまは、ただ一つの気がかりだったわたくしを、かつての敵である源氏の君に託すことを決められたのだった。 「しようがないのだよ、紗沙。私ももう永くない。あとはただ、み仏におすがりするよりほかに、道はないのだ」  そうおっしゃったお父さまは、いつにもまして弱々しく、声もかすれて今にも途切れてしまいそうだった。  三条の別邸に移って、初めての冬。冷たく重い雪が降り続く、寒い朝。  いつもはわたくしの部屋までお気軽に訪ねてこられるお父さまが、珍しくわたくしに、ご自分のお居間まで来るよう、女房を通じて正式に伝えてきた。  そしてわたくしは、六条の院――現在は准太上天皇と人臣最高の位についた源氏の君のもとへ降嫁するようにと、唐突に命じられたのだった。 「私が出家すれば、もう現在のようにお前を手元に置いておくことはできない。その前に、誰か頼りになる男に、お前を預けようと決めたのだ」  仏道に入れば、親子、夫婦の縁もすべて断ち切らなければならない。すべての富も経歴も投げ捨てて、我が身を生きながらに仏の修行の中へ葬り去ること。身体は生きていながら、人としての心を死なせること。それが、出家なのだ。  お父さまが出家されれば、当然、娘のわたくしとの縁も断たれてしまう。  けれどお父さまが本当にみ仏の救いを求めているのなら、わたくしもお止めすることはできない。  退位されてからも、お父さまは日に日にお身体が弱り、眼疾も回復の兆しはない。もうわたくしの顔さえ、はっきりと見えないのかもしれない。  死ぬ前にせめてみ仏の弟子となって、この世の罪業をつぐないたいというお父さまのお気持ちも、理解できる。……子として、理解ってさしあげたいと思う。  東宮時代には常に源氏の君とくらべられ、帝となっても祖父や母后に頭を押さえつけられ、何一つ思うとおりに生きてこられなかったお父さまなのだもの。せめて最後のわがままくらい、聞き届けてさしあげたい。  でも。 「どうして、お父さま? 内親王は後宮にあがるのでない限り、生涯未婚が世のならいよ。朝顔斎院(あさがおのさいいん)だって、ずっとお独り身でお暮らしじゃないの」
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