第1章

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 朝顔姫宮は、亡き桐壺帝の姪にあたられる方。神の巫女としておつとめを果たしたあと、お一人できよくお暮らしとか。 「朝顔斎院さまは女三の宮さまよりお歳もずっと上。賀茂で神さまに仕えられた方ですもの、お一人でもしっかりお暮らしになれるほど、賢くていらっしゃったのですわ」  お父さまのわきから、ねっとりと甘く熱い声が口をはさんだ。 「朧月夜尚侍……」  退位したお父さまを見限って、大勢の女御、更衣たちが離れていく中で、彼女だけはお父さまにつき従い、三条の街にあるこの小さな別邸へ来たのだ。  お父さまも、ほかの数多い妻妾や、子供まで生んだ御息所にもそれほど未練は見せなかったのに、この尚侍だけはすげなく縁を切ることができなかったみたい。  ……でも。  わたくしは、この女がきらい。  たしかに美しい女だと思う。  白い肌は絹のようにしっとりとつやめいて、その中で唇だけがぬめぬめと紅い。まるでそこに、あまたの虫を惹きつける妖しい花が咲いているよう。  わずかな身動き、お父さまのほうへほんの少し差し伸べる手の、その爪の先にまで、男に媚びる色気がからみついているみたいで。  わたくしは返事もせず、朧月夜を睨んだ。 「女三の宮さまは、おいくつになられまして?」 「……十五です」 「ほら。そんなお歳では、とうてい一人では生きてゆけませんことよ。ね、姫宮さま」  その呼び方をされるのは大きらい。でもこの女から親しげに「紗沙さま」と呼ばれるくらいなら、おおげさに宮さま宮さまと呼ばれたほうがまだまし。 「誰か、しっかりしたお方に姫宮さまのことをお頼みしなければ、お父君さまもご心配でならないのですわ」  いかにも優しそうに、同情を込めた眼でわたくしを見るけれど。  そのべたべたしたしゃべり方も、黒目がちに潤んだ目も、大きらい。  世の男たちはきっと、こういう熱っぽくまとわりつくような笑い方を、女の切なさとか言ってもてはやすのだろう。  同じ女の小侍従だって、朧月夜を 「弘徽殿母后の妹君とも思えませんわ、ねえ、あのお美しさ!」  と、賞賛する。  けれど。  だいたい、なんでこの女が、わたくしとお父さまとの間に、いるの。  右大臣家の姫でありながら、その最大の政敵である源氏の君と通じた女。  あまつさえ、他の男と通じた、穢れた身で、ぬけぬけとお父さまのもとへ参内した、恥知らず。
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