第1章

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 気安く、柏木は答えた。そして視線で清涼殿――帝の御座所を示す。  そちらからはまだ、にぎやかな宴のざわめきが聞こえてきていた。  柏木は、薄い単衣一枚で突っ立っているわたくしを、まさか帝の姫宮などとは思わなかったのかもしれない。下働きの女童か何かと間違えていたのだろう。 「まったく、あんな飲兵衛のおっさんどもに付き合ってられるか。宵のうちからだらだら酒ばっかり呑んで、人の顔見りゃ、やれ唄えの笛吹けのって。俺は街角に立ってる芸人じゃない」  ぶっきらぼうな言い方に、わたくしは吹き出して笑ってしまった。  帝であるお父さまやいつも偉そうな大臣たちを、「飲兵衛のおっさん」なんて身も蓋もない言い方をする人なんて、今まで見たこともなかったから。 「俺もいきなり四位などもらわずに、夕霧みたいに六位くらいから始めれば良かった。身分が低ければ、あんな古くさい宴席に駆り出されることもないしな」 「帝の宴席に戻りたくないの?」 「ああ、もういやだね。今だって、酔い覚ましするって言って、やっと抜け出してきたんだ」  だから、と、柏木は、黒い瞳をいたずらっぽくきらめかせ、笑った。 「俺がここにいること、黙っていてくれないか?」 「うん」  わたくしはこくんとうなずいた。 「でもそのかわり、わたくしのお願いもきいて」 「……どんなお願い?」 「笛を吹いて」  わたくしは、柏木の胸元を指さした。直衣のふところからのぞいている、漆塗りの小さな美しい横笛を。 「え――」 「一曲だけでいい。ほんのちょっとでいいから」  柏木は少し困ったような顔をしたけれど、やがて微笑し、横笛を唇にあてた。  そして桜樹の上から聞こえてきた、音曲。  それはほんのひとくさり、一曲の半分にも満たない長さではあったけれど。  わたくしには、桜の花びらがそのまま笛の音に変じ、わたくしの頭上に降りそそいでいるように思えた。  やがて笛の音に乳母が目をさまし、わたくしは部屋の中へ連れ戻された。  一夜の夢は、それで終わってしまったけれど。  この桜の貴公子が、藤原大納言――その昔の頭中将、のちの太政大臣――の息子で、世に柏木の名で知られる若者だと、わたくしはあとになって知った。  柏木がわたくしのことを、実は朱雀帝の内親王だと知ったのは、いつだったのだろう。  それ以来、乳母の監視は厳しくなり、わたくしはもう二度と夜の庭へ抜け出すことはできなかった。
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