第1章

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 こうなれば他の氏族など、廟堂の中心に立ち入ることも難しい。藤原一門の周囲をうろつき、そのおこぼれにあずかるのが関の山というありさまだ。  お父さまも、母方の祖父、藤原の右大臣の傀儡(くぐつ)にすぎないと言われていた。お父さま自身、あやつり人形の自分を、いやというほど自覚されていただろう。  その当時、右大臣は他の藤原の男たちを蹴落として、一族の頂点、「氏(うじ)の長者」の地位に登りつめていた。これも、帝の外祖父という立場があればこそのこと。  宮廷の官位だけを見れば、彼の上にはまだ左大臣がいた。この左大臣も藤原一門だ。が、家系は数代前に分かれた別系統。当然、右大臣家にとっては強大な政敵でしかない。  けれど左大臣はお父さまの後宮に自分の係累の娘を送り込むことができず、結果、次代の帝――東宮の身体に自分につながる血脈を流し込むことができなかったのだ。  わたくしのお母さまは藤壺女御。後宮の「藤壺」という局に住んでいたから、その局の名で呼ばれていた。本当の名は明かしてはいけない決まり事になっているから。  わたくしはお母さまの顔も知らない。  お母さまはわたくしを生んですぐに亡くなられてしまったけれど、わたくしはお母さまの局を出ることなく、そのまま藤壺――飛香舎(ひぎょうしゃ)を住まいとしていた。そこで、乳母らの手によって育てられたのだ。お父さまただ一人を肉親として。  帝の住まう宮殿――内裏は、帝の生活の場である紫宸殿(ししんでん)を中心に、飛香舎、弘徽殿(こきでん)、麗景殿(れいけいでん)など、複数の建物が長い渡り廊下でつながれ、一つの大きな宮殿を形作っている。  それぞれの建物には、帝の妻妾である女御、更衣などが女主人として住んでいた。未婚の若い皇子が母親から局を受け継ぎ、住居としている場合もある。  お父さまの後宮では、かの右大臣家から入内した朧月夜尚侍(おぼろづくよないしのかみ)が、実家の権勢と姉である弘徽殿母后――お父さまのお母さま、つまりわたくしのおばあさま――の権力を背景に、帝の寵愛もっとも深き方として君臨していた。  東宮、つまり皇太子は、先の桐壺帝の末の皇子、冷泉さま。わたくしから見れば、叔父上さま。  東宮さまのもとにも、秋好女御(あきこのむにょうご)や新しい弘徽殿女御など、美しい姫君たちが次々に入内されている。
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