第1章

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   二 桜惑う  あの日。  むせ返りそうなくらいに満開の桜が咲き誇り、よく晴れた空にまばゆい光があふれていた、あの日。  わたくしたちは、もう一度出逢った。  その日は、昼過ぎあたりから何となく六条院全体が騒がしく、落ち着きのない空気に包まれていた。 「ねえ、小侍従。どうしたのかしら。なんだかおもてが騒がしいみたいだけど」  わたくしは行儀悪く立ち上がり、御簾の外を眺めた。  風もぱったりと止んでしまった春の午後、室内の空気は次第に蒸し暑くなっていた。御簾を巻き上げ、几帳を片づけても、なかなか風が抜けていかない。  澱んだような空気に、この六条院に来てから飼い始めた唐猫もなんだか機嫌が悪く、しょうのないいたずらばかりしていた。 「東北の町に、夕霧の若様がお友達を大勢連れておいでなんですって。ほら、あちらには広い馬場などもございますから」  東北の町は、別名夏の御殿。女主人は花散里の君。  この人は、先々帝桐壺院に仕えていた麗景殿(れいけいでん)女御の妹君で、源氏の君との関係は紫の上よりも古いという。身分は高貴だが裕福な後見もなく、容貌も他の女君にやや見劣りするものの、優しくおっとりとした人柄が愛されて、源氏の君のただ一人の息子、夕霧中納言の母代わりをつとめているそうだ。  そのおふくろさまのところへ、息子が暴れん坊の友達を連れて遊びに来たというわけらしい。 「ずいぶんにぎやかでございますわねえ。ちょっと様子をのぞいてまいりましょうか」  小侍従は言った。  はしっこくて頭も口も回転の速い小侍従は、この六条院でも早々と女房同士の横のつながりを築きつつある。  紫の上付きの女房や明石の君のところになどは、まださすがにもぐり込めないものの、敵を作らない性質の花散里の君の御殿や、源氏の君の寵愛とは無縁の秋好中宮の御殿には、いつの間にかするっと入り込めるようになっていた。 「どなたが遊びにいらしてるのか、ちょっと見てまいりますわね」 「いいわよ、小侍従。わたくし、興味ないわ」  実際、小侍従を偵察に行かせる必要はなかった。  若者たちがこの東南の町の庭へ、わたくしのいる寝殿のすぐ目の前へ移動してきたのだ。  乗馬や弓の試射に飽きた彼らは、今度はこちらで蹴鞠に興じようというつもりらしい。  女房たちがあわてて御簾をおろし、男たちの視線から室内を隠す。
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