第1章

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 それでも室内を几帳で囲ってしまわないのは、やはり蒸し暑いのと、そんなものを立ててしまっては、庭の様子を眺めるのに邪魔だからだろう。  わたくしもそれを咎めなかった。  女房たちみたいに御簾のすぐそばまで寄って、衣の端を外へ出し、男たちの歓心を集めるような真似はできないものの、いつも座っている薄縁(うすべり)を離れ、少しずつ御簾のそばに寄って庭の様子を眺める。  御簾を降ろすと、外からはほとんどこちらの様子は見えなくなる。けれど内側からは、外が透けて見えるのだ。  夕霧中納言を中心に、頭の弁(とうのべん)、兵衛の佐(ひょうえのすけ)など、内裏でも指折りの若い公達たちが、かけ声もすこやかに鞠を桜の空へ蹴り上げる。 「おーう!」 「あーりゃっ!」  小さな布製の鞠が高く中空へ舞い上がるたび、庭のあちこちから高い歓声があがった。  渡殿には源氏の君や、蛍兵部卿宮の姿もあった。鞠を追う若者たちを眺め、扇で指し示したり、なにか小声でささやき交わしたりしている。  そして――。 「柏木……!」  胸の奥で、心臓がどくん!と大きくひとつ、跳ね上がった。  散り急ぐ桜のもと、柏木が立っていた。  桜吹雪の中、庭を走り回る若公達。  その姿を、女房たちが御簾の陰から透かし見る。声を抑えた歓声やため息が、部屋のあちこちから漏れた。  若者たちは夢中で鞠を追う。日頃は謹厳実直を絵に描いたような夕霧まで、冠が歪むのにもかまわずに、声をあげて走り回っていた。  そんな中で、柏木の姿はひときわ目を惹いた。  彼は、誰よりも高く鞠を蹴り上げる。誰かが蹴りそこなってとんでもない方へ飛んでしまった鞠も、素早く落下点へ走り、もう一度庭の中央へと蹴り戻す。  その姿はわたくしの記憶にあるよりも少し痩せて、目元のあたりに深い陰が落ちているように見えた。  けれど、あの瞳は同じ。初めて見た時と変わらない、深く輝く篝火のような瞳。  わたくしは思わず立ち上がってしまった。  高貴な女が立って歩くのは、ひどくはしたないこととされている。けれどわたくしは立ち上がり、精一杯背伸びして、御簾の向こうを眺めずにいられなかった。  女房たちも蹴鞠の見物に夢中だ。誰もわたくしの行儀の悪さを咎める者はいなかった。  やがて柏木は、蹴鞠の輪からすいと抜け出した。  いかにも、息が切れた、一休み――というような顔をして、母屋の階に腰を下ろす。
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