第1章

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 今、柏木はなにをしているのだろう。今もまだ、一人でなにかに苦しんでいるのなら、同じ苦しみをわたくしも背負いたい。彼のためになにもできなくとも、せめてわたくし一人がのうのうと過ごしていることのないように。彼とともに苦しみ、傷つき、のたうち回れるように。  けれど柏木は、そんなことを望んではいないのだろうか。わたくしには、柏木のためにできることはなにもないのだろうか。  御簾の中でどんなに彼を思っても、それを伝える手段がない。彼の様子を確かめるすべもない。弁の君はもう、小侍従ともろくに顔を合わせようとしないそうだ。小侍従が柏木の手紙を受け取りに行っても、ほとんど口も利かず、すぐに逃げ去ってしまうらしい。  弁の君は、源氏の君に死ぬほど怯えているのだろう。無理もないとは思うけれど。  源氏の君はわたくしたちの密通をとうの昔に知っていたのだと説明しても、弁の君には理解できないだろう。わたくしだっていまだに、源氏の君がなにを考えているのか、まるでわからないのだから。  忙しい合間を縫ってわたくしのもとを訪れた時にも、源氏の君はなにも言わなかった。以前とまったく変わらない笑顔、悠然とした様子で、わたくしを見ているだけだ。 「今はどうしてもあちらに手をとられてしまうので、あなたには淋しい想いをさせていますね」  いかにも人並みの夫婦のような顔をして、そんなことを言い、わたくしの手を取る。 「落ち着いたら、そのうちゆっくりとお話いたしましょう。それまでの間、あなたのつれづれをなぐさめてくれる者でもあれば良いのですが」  ……本当に、なんて嫌な男。わたくしがひまを持て余して、退屈しのぎに柏木を通わせたとでも言いたいのか。わたくしたちの恋を、そうやって貶めて、笑いものにしようというのか。  いかにもおもしろそうにわたくしを眺めるそのしたり顔を、この爪で引き裂いてやりたい。女房や家人たちの眼がなければ、わたくしは物の怪に憑かれたみたいに暴れ狂っていたかもしれない。  わたくしにできるのはただ、扇の陰で唇を噛みしめ、涙を堪えることだけだった。  同じ敷地内に源氏の君がいる。そう思うだけで、わたくしは息がつまりそうだった。  なぜこの男はなにも言わないのだろう。わたくしをこのまま放っておくつもりなのか、なんの罰も与えずに。
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