第1章

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「おそらく桐壺さまが、慣例を破って宿下がり中の藤壺さまにこっそり逢いに行かれたのではないかと、古女房たちは言ってましたわ。それもまあ、あまり人に知られたくない話ではありますでしょ? 帝自ら内裏の決まり事を破って、お忍びで出歩かれたなんて。桐壺さまもその当時、もうけっこういいおトシで。若いモンみたいなお行儀の悪い真似をなさったのが知れると、恥ずかしかったんじゃありません? だから桐壺帝と藤壺さまは、お二人で相談なさって冷泉さまの生まれ月の予定をごまかされたのではないかって」 「そうね……」  わたくしはうなずいた。  小侍従が持ってきてくれた情報には、たしかにうなずける。怨霊のなんのという話にくらべたら、不自然な部分は少ない。  けれど本当に、帝がこっそり内裏を抜け出して、宿下がり中の中宮に逢いに行くなどということができるだろうか。  帝が寝む(やすむ)夜の御殿は、かなり広い。実際に帝が横になる御帳台のまわりには、宿直の貴族や護持僧や、大勢の人間が詰めているのだ。御殿の外の孫廂(まごびさし)にも、同じように宿直の貴族が控え、庭には警備の侍たちが昼夜を分かたず歩き回っている。  それだけ大勢の人間たちの目を盗み、帝が一人、外へ出ていくなんてことが、本当に可能だろうか。万が一、帝の忍び歩きがおおやけになったりしたら、それらの者たちは全員怠惰を咎められ、罰を与えられてしまうだろう。  特に護持僧は、一晩中眠らずに帝の寝所を守護するのが務めだ。人は眠っている時が一番無防備で、悪霊に取り憑かれやすいと言う。帝の寝所に悪しきものを近寄せないため、護持僧は一睡もせずに祈り続け、その法力で帝をお守り申し上げる。  そんな不寝番の目の前で帝が御殿から抜け出せば、見つからないはずはない。  若く愚かな皇子たちならともかく、内裏に君臨して久しい桐壺帝が、そんな分別のないことをなさるだろうか。  わたくしは、小侍従の情報をもとに、彼女とはまったく別のことを考えていた。  護持僧……僧侶。なんだかその言葉がひっかかる。  以前にも、同じような言葉をどこかで聞かなかっただろうか。  そう、確か柏木が、内裏に参内もせずにしきりに寺院を巡っているらしいと、弁の君が言っていた。供もほとんど連れず、家の者に行く先も告げずに出ていって、戻ってきた時には袖に抹香の匂いが染みついていた、と。
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