第1章

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 内裏での闘いに決着がついても、勝者は敗者の生命までは奪わない。官位を剥奪し、遠い辺境の地へ追いやるだけ。それが今のやり方なのに。  もしも生命まで奪ってしまったら、死した敗者の魂が怨霊となり、勝者に祟ってしまうから。人の身を苦しめる病も不幸も、都を襲う天変地異さえ、すべては怨霊のしわざだとされる。  源氏の君は、柏木の怨霊も恐れはしないということ?   いいえ……もしかしたら。  ふと、かつて柏木が言っていたことが思い出された。  源氏の君が須磨へ落ちるころ、当時まだ東宮だった冷泉さまについて、妙なうわさが流れたと――。  わたくしは顔をあげた。  もしかして、そのせいだったの?  そう考えると、すべてのことがつじつまがあってくるような気がする。  柏木が源氏の君を追いつめようとしていた、切り札。それが、その冷泉さまにまつわる秘密だとしたら。  冷泉さまが突然退位されたのも、それなら納得がいく。東宮に譲位しなければ秘密を暴露すると、柏木が脅したのかもしれない。  いったい、どんな秘密なの。  柏木がそれを知ってしまったがために、殺されたのだとしたら。  わたくしも、それを知らなくてはならない。 「女三の宮さま。お食事でございます」  中年の女房が女童を従えて、食事を運んできた。  次々にわたくしの前へ並べられる、贅を尽くした料理。  けれどわたくしは、箸もとらなかった。 「いりません。食べたくないの。下げてちょうだい」 「紗沙さま……」  そばに控える小侍従が、心配そうにわたくしを見る。  けれど無理に食事を勧めようとはしない。  小侍従も知っている。なぜ、わたくしが食事を拒むか。  ――都も場末の市まで行けば、怪しげな祈祷師や薬師も大勢いる。金次第で、どれほど危険な呪符や薬でも、用意してくれる連中が。  堕胎の薬だって、簡単に手に入れられるのだ。  六条院で出されるものを、うかつに口にするわけにはいかない。  わたくしのお腹に宿る柏木の子が無事に生まれるのを、源氏の君はけして望まないから。  わたくしの懐妊は、すでに六条院全体に知れ渡っていた。誰から聞かされたのか、お寺に籠もられたお父さまからも、心をこめた祝いの品々が届けられた。  けれどめでたい雰囲気とはうらはらに、本当にこの子の誕生を待ち望んでいる人間は、六条院の中にはわたくしと小侍従以外、誰もいない。  源氏の君は紫の上に、
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