第1章

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 怨霊の祟りで出産が一月以上も遅れるなんて、そんなことあり得るはずがない。  祟りや呪いに怯えるあまり、妊婦が疲れ果てて早産してしまい、子供を死なせてしまうというのなら、まだわかるけれど。  なにも知らないころだったら、わたくしも、そういうこともあるかもしれないと怯えていたかもしれない。けれど実際に自分が身ごもってみれば、そんなことがあり得るはずがないと、はっきり断言できる。  だって、わたくしのまわりでどんなことが起ころうとも、お腹の赤ちゃんは日々確実に、成長し続けているのだもの。  こんなにもすこやかに、力強くすすむ人のいのちの営みに、怨霊だの生き霊だの、そんな実体も持たない存在が、なにができるものか。 「それだけ怖ろしい祟りにに遭われたにもかかわらず、お産のあとはお母君の藤壺さまもとてもお健やかで、赤ちゃんを連れてすぐに参内なさったそうです。冷泉さまはそれはもう、お可愛らしい赤ちゃんだったそうですわ」  予定日より一月半も遅れた出産が、なんの障りもなく済んだというのなら。  考えられる答はひとつしかない。  予定日がもともと違っていた。十二月なんてうそ、冷泉帝は最初から二月半ばに生まれる予定だったのだ。  怨霊や祟りを怖れる心弱い人々には、こんなでたらめなうそも通用してしまったのだろうか。それこそわたくしのお父さまとか。  でも、藤壺母后はどうして予定日をいつわる必要があったのだろう? 「出産が予定どおりだったとすると、藤壺母后が身ごもられたのは……ひい、ふう――五月の終わりか六月、夏の初めということね」  わたくしは指を折って数えた。 「ですが紗沙さま。その年は、藤壺さまはお身体を悪くされたとかで、夏の初めからずっとお宿下がりされていたそうです。後宮に戻られたのは、野分(のわき)のころだったそうですわ」 「え……」  後宮で帝や東宮に仕える女性たちは、出産や病気や、「穢れ」とされる状態になった時には必ず、宿下がりしなければならない。宮中にはいかなる穢れも持ち込んではいけないのだ。 「もしも出産が予定どおりだったのなら、藤壺さまが受胎されたのは、宮中を退出してご実家におられた時です」 「うそよ! そんなこと、絶対にありえないわ!」
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