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妹の膝の上に置かれた紙には、端から端まで目一杯に書かれた大きな羽の生えた少女が描かれていた。それから何を話したのか、よく覚えていない。
気付けば、僕は眠っていたようだ。右手で握り締めていたはずの妹の手は、そこにはなかった。顔を起こしたが、ベッドの上に妹の姿はない。残っていたのは「ありがとう」と書かれた、一枚の紙だけだった。慌てて小屋の中を見渡したが、そこにもいない。僕はすぐに小屋を出た。
どこを見ても妹はいなかったが、積もった木の葉に足跡が残っているのを見つけた。それを頼りに走るしかなかった。足跡は道を逸れ、森の中へ続いていた。
膝まで茂る草を踏み倒しながら、僕は走った。すでに足跡はない。肌寒いのに汗が流れ出る。右に左に目を動かした。僕が騒いでるせいだろうか、辺りで鳥や虫が飛び回っていた。
不意に僕は倒れてしまった。落ち葉に隠れた泥に足を滑らせたのだ。金切り声を上げるような痛みが僕の足を襲っているのを転んでから知った。
真上に望んだ月が僕を見下している。息が荒くなり、涙が止め処なく流れていく。世界がそこで終わってしまったんだ。そんな感覚が僕の中に生まれた。
その時、僕の上を大きな何かが通り過ぎた。僕は急いで立ち上がり、その何かを見た。それは見たこともない大きな羽を羽ばたかせ、しなやかな触覚を靡かせた一匹の蛾だった。その翼とも言うべき二対の羽は、月明かりの下、オレンジがかった黄金色をしていた。
僕は蛾を追いかけた。
優雅に、そして残酷に蛾はどんどんと進んでいく。いくら手を伸ばしても、届きはしない。走り続ける他なかった。
「待ってくれ。行かないでくれ。僕にはお前しかいないんだ。僕を置いていかないでくれ」
僕は叫んだ。しかし、僕は決して蛾に向かって叫んだわけでない。僕は妹に向かって叫んだのだ。
蛾と僕は大きな湖の前に出た。勿論、蛾は飛んで渡っていくのだが、僕に湖を渡る力はもう残ってはいなかった。蛾の姿が静かな水面に映える。
僕はその美しい蛾がこの森から去ってゆくのを、最後まで見つめていた。
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