第1章

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 私は物心着いた頃から何時も何かしら心の中に「心配」と言う影が宿っていてその影の様な物に怯えて居た様に思えるのである。  専もそんな幼い時の心の状態など、成人してからの「自分の生き様に対する云い訳」であるに違い無いかも知れないが・・・。  兎に角私は何時も心中に巣喰って居る「何かしらの心配」で「全くの青空」と言う開放感を享受出来ると言う事がないのである。  だから良く人様に見る様な「開けっ放しの笑い」と言う物が無いのである。  「アァあの方には何の心配も無いのかな、ウラヤマシイ」と思うのである。  「一度で好いからあの様に屈託無く笑って見たい」と思う。  屈託無く笑えない儘遂に90歳に手の届く年齢になって初めてそれは「自我そのものの我が性格、不運と言う物は絶体受けたく無い」と言う一人よがりの私の性格と気着いたのである。  私は次女の性格を「ギリシャ神話に出て来るナルシスト、水に映る我が姿に憧れ、自分だけを愛し、遂に水に落ちて死ぬ」と言う神だと思って居た。  そして「私の様に一族の誰をも愛し、その幸を願う人間の娘に何故こんなナルシスが生まれたのか」など思って居た。   処が愕然と気が着いた自分の姿に己が心の姿に目の前の扉がパッと開いた感じである。  本当の「ナルシスト」は私だったと気が着いたのだ。  「不器用で自信が無い人間だからと謙遜な性格だから皆の幸せばかり願って居るのだ」  それこそ「ナルシスト」その物ではないか・・「弱いから良い人ぶって庇って貰う。  「私がネエちゃんの様に確然と自己を主張出来る人になれなかったのは、ママ(私の事)がネエちゃんの方ばかり向いて居たからだ」と全てを親の所為にして自分の不甲斐なさを親にぶつけてウさ晴らしをする次女の方がまだ自分のアラをさらけ出す「正直さ」があるのではないかと気が着いたのである。
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