第1章

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87歳にして此の事に気がついた私は自分を「心配性と言う病気」から救い出し、何か楽しい事があれば心の底から笑える境地になって人生の終りを楽しもうと思ったのである。  勿論それは私の性格からして、覚悟を述べる程容易い事では無いのだ。  何か「心配な事がある」と言う事は、裏を返せば色々見聞きする「不幸な事」がわが身にも振り掛かって来るのを恐れて居ると言う事なのだ。  私の選んだ夫は機械のメンテナンス、所謂「技術労働者」であり、それも常にユ-ザ-の懐具合を考えて商売すると言う「真面目且つ良心的」な仕事で営業して来た。  従って資産と言う物は、大手に勤めて多額のボ-ナスを貰って来た人の様にお金は貯まって居ない。  又商売をしても「金もうけ」に長けた人で無く、「自分の仕事に対する正当な請求」しか出来ない人だった。  従って家を建て、子供を育て、自分達を葬る墓所を取得し、現在残って居る資産と言えば、「オレオレ詐欺」で世間の老人が騙し取られる額の5分の1にも満たない額である。  然し夫は心臓に人工弁を入れている身乍ら、未だに元気に何かしら仕事を見つけて働いてくれている。  従って2か月に一回、生活出来るだけの年金を頂いて居る。  誰よりも「愛しい孫2人」にささやかなプレゼントで喜ばす事も出来る。  親しい友や夫と温泉旅行も楽しめる。  今現在は誠に平和で幸せなのである。  なのに何故私は心の底から「楽しく笑う」事が出来ないのかと考えた。  多発する天変地異で大切な肉親を突如奪われた人、そうで無くともご近所で、突如配偶者を失い、喧嘩相手が突如居なくなってやる瀬ない日を送って居る方、等の心を思いやる。  私は88歳の現在迄、「高齢の父母」を見送ったのみで、まだ大切な人の「死」に会った事が無い。  
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