第1章

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一族の中に誰か特殊な人生を目指し、脇目も振らず邁進し、ある程度ものにした者が一人いると、何かそれにつられてというか、何か目指す物を持たねばならない様に思ってしまう。  それが間違いであり、その人の「達成」を讃えてやっても、自分もそうなるべきと考えるのは間違いである。  私は心身共に弱い一人娘であると、親から保護されて育ったならその長閑な境遇で培われた幼児性を武器に、晩婚ながら働き者で優しい夫をゲット、望み通り二人の娘の母親になれた。  長女は望み通り「理ケ女 国立大学で理学博士」をゲット、小さいながら大学の「教授」の職に就いた。  次女は放浪の末ながら「矢張り真面目で働き者の優しい夫」をゲットし、二人の男の子を得た。  難しい男の子を彼女なりに上手くやったか、まず二人共明るく真面目に育って居る。  本当は満足して明るく私に対してくれるべきなのに、「姉の生き様」にばかり目を向けたからと、自分の努力の欠除を棚に上げて、母の私に攻撃的である。  これも私の「心配症という病」の原因の一つである。  然しこれも只「当たりが不機嫌」と言うだけの事で、互いに社会的の節度を守っているので、「心配症と言う病」のなせる結果とすれば「母の私」が大人になれば解決する訳だ。  50歳の娘は幾らでも成長する余裕がある。  90歳の声を聴いた私はかなりの努力で、この傍迷惑な病気から抜け出なければならない。  然し老いて益々「へそ曲り」になった私をこの病から抜けさせるのは、気長にしかも気楽に頑張らなければなるまい。  
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