第1章

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 これと言った自分の目指すべき目標も見つけられない儘20歳を過ぎた私は「女性には母親になる」と言う仕事がある。  だから誰かと結婚して子供を授かり、「一生の仕事」としてその子供を大切に育てようと思い、自分に子供を授けてくれる人を只管探し求めた。  結婚と言う事が最初から子供を得ると言う目的でお見合いをして結ばれた相手とは長い病気とか、経済的不満とか、あらゆる困難に会うと脆く崩れる。  私は愚かにも2度も大切な青春期を「女中奉公」の如きバカな体験で無駄な期間を過ごした。  手先の不器用な自分に合わない「和文タイプ印刷」と言うパ-ト内職で精魂を擦り減らしてお金を稼いだ。  でもその「自分に合わない」と思う仕事でもその気になって努力すれば人生が開けたのかもしれない。  「何か仕事をする」より「子供の親になる」事が易しい事と思ったわけでは無いが、二人の娘を得て見て、二人を二様に幸せに育てる と言う事が何かを作成する「仕事」より如何に難しい事か身に沁みて判り、遂に90歳の声を聞く今日迄掛かったと言う事である。  「子供を得たい」と言う私の目的で付き合わされた今の主人には、本当に気の毒な人生を付き合わしたと済まなく思って居る。  と言う訳で「何時も何か不安で気楽にアハハと笑えない」と言う症状の「心配性と言う病気」から快癒して夫と共に何かにつけて「アハハ」と笑って残りの人生を楽しまなければ と思うのだ。  病気から抜け出るのは容易い事では無いが、こんなに一生懸命生きて来たんだからそろそろ自分に甘くなっても良かろう。  ドラマでも小説でも子供が親の事を生きている内から理解する って話は余り無い・・・。  無理に「良いお母さんだ」など思われなくて良いではないか・・・。  絶体好き母親だなんて思われ様と望まなければ良いのだから、「いい加減に生きる」のが「心配性と言う病」から抜け出る処方箋だと思おう。
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