第8章

5/16
前へ
/290ページ
次へ
そんな皮肉っぽい物の見方をしてるくせに、俺は家に帰るのが待ち遠しかった。 早く家に帰って、慧の顔が見たい。 「おかえり」が聞きたい。 ……でも俺はあと何度慧の「おかえり」を聞けるんだろう? 堂々巡りする思考で頭が重い。 それでいながら空っぽの胃袋がよじれた。 つくづく、人間っていうのは現金な生き物だ。 どんなに崇高ぶって考えても、腹は減る。 飯を食えば排泄せざるを得ないし、疲れれば眠くもなる。 溜め息をつきながら自宅マンションを見上げると、部屋に電気が点っていた。 おそらく、慧が合鍵を使って先に帰ってきているのだ。 少し緊張しながら部屋のドアフォンを鳴らすと、中からパタパタと足音が近付いてきて、ドアが開く。 食欲をそそるいい匂いとともに姿を見せたのはエプロン姿の慧で、慧は俺を見た途端顔を綻ばせた。 「おかえりなさい!」 聞きたかった言葉が聞け、俺はにやつきそうになるのをぐっと堪えた。 そして何事もなかったかのように答える。 「ただいま。遅くなったな。」 「いえ、丁度お鍋ができたところです。」 「結局鍋にしたのか。うちに鍋あった?」 「うちから持ってきました。貰い物の土鍋があったので。」 そんな会話を交わしながら部屋に入り、リビングに向かうと、食事の用意がすっかり整っていた。 鍋の他にも慧が作ったらしい料理が何品か並び、なかなか華やかな食卓だ。 しかもどれも旨そうで、ただでさえ腹が減っていた俺は思わず唾を飲む。 慧はそんな俺を得意気な顔で見つめながら言った。 「着替えてきてください。その間にお鍋をこっちに運んでおきます。ビール飲みます?買ってありますよ。」 「ああ、飲む。」 質問に短く答えながらジャケットを脱いでネクタイを緩めていると、慧と視線がぶつかった。 慧は俺と目が合った途端、耳を赤くして顔を背けた。 「なに?」 不自然な反応が気になって尋ねると、慧は照れ笑いを浮かべながら呟いた。 「ネクタイを緩める仕草って……なんか格好いいなって……。」 「はあ?」 「大人っぽい仕草じゃないですか!だから素敵だと思ったんです。」 「お前もそういう格好すればいい。スタイルいいから似合うと思うけど。」 「そ、そういう意味じゃないんです!その、つまり…………侑哉さんだから……格好いいんだと思う。」
/290ページ

最初のコメントを投稿しよう!

778人が本棚に入れています
本棚に追加