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俺は慧の顎を指で掬い上げて触れるだけのキスをし、コーヒーを淹れた。
慧ははにかんだような微笑みを浮かべながら、俺の手元をじっと見つめていた。
焼き上がったパンにバターを塗って口に運びながら、ふと、今晩のことを考えた。
しばらく一緒に食事をしようと言ったが、詳しいことを全く考えていなかった。
「慧、お前今日の授業は?」
「2限と3限です。」
「お前の方が終わるの早いのか……。俺は今日一日非常勤で他大学の授業があるんだ。しかも一番最後の授業は5限だから、うちに帰ってくると7時過ぎると思う。」
「それじゃ僕は適当に時間潰してましょうか?絵の続きを描いていてもいいですし、なんとでもなりますよ!」
「ああ……。いや、ちょっと待ってろ。」
寝室の窓辺に置いてある本棚にしまっておいた物を取ってきて、俺は少し緊張しながら慧に渡した。
たかがこれだけで緊張するのは変かもしれないが、俺はこの「物」を人に渡したことがないのだ。
「これ、お前に預けておくよ。」
慧の手のひらにその物を置くと、慧は目を丸くした。
「これ……。」
「合鍵。好きなときに出入りしていい。」
平静を装って言いながら、内心俺は物凄く緊張している。
合鍵を渡すほど他人と親密な関係になったことがない俺としては、かなり勇気のいる行動だ。
「いいんですか……?」
慧は大きな目をぱちぱちとしばたきながら、手のひらの上の鍵をじっと見つめてていた。
「ああ。……お前が嫌じゃなければな。」
「嫌なわけないじゃないですか!嬉しい……。侑哉さん、ありがとう!」
たかが鍵一つでこんなに喜んでもらえるとは思わなかった。
満面の笑みを浮かべる慧を見ていると、俺まで嬉しくなってしまう。
他人が自分の家のなかをうろついていると考えるだけでゾッとしていた俺が、こんな風に考えるなんて、自分でも不思議だ。
慧はいつの間にか俺という人間のずいぶん深いところまで進入してきている。
それが嬉しい
同時に、怖い。
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