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もし、慧が俺に対して抱いている感情が恋愛感情でなかったとしたら、
幼い頃に獲得できなかった家族愛を求めているだけだとしたら、
いつか、本当に愛する人ができて俺のもとを去っていってしまったら、
そんなことを考える度、怖くてしかたなくなる。
「侑哉さん?遅刻しちゃいますよ……?」
浮遊していた意識が慧の声で引き戻され、俺は慌ててパンを飲み込んだ。
考え事をしているうたに、家を出なくてはいけない時間まで、残り5分になっていた。
急いで歯を磨き、荷物を確認して上着を着る俺を、慧は玄関まで見送りに来てくれた。
「お前の分はそっちに残ってるから、適当に食べてくれ。あとその格好じゃ外出歩きにくいだろうし、服も適当に着ていいから。」
「はい、ありがとうございます。」
「あと火の元と戸締まり頼む。」
「はい。いってらっしゃい、気を付けて。」
いってらっしゃい、か……
思わず手が止まってしまった。
人から「いってらっしゃい」と言われたのなんて、何年ぶりだろう。
「いってくる。また……夜にな。」
慧はにこっと微笑みながら小さく手を振った。
そんな些細な仕草が可愛くて、遅刻しそうなのにも関わらず、俺はついつい長いキスをしてしまう。
こんな幸せを手放さなくてはならないとしたら……
だから、人を好きになるのは嫌だったんだ
幸福な時が終わることに怯えて毎日を送らなきゃいけない
いつか来る終わりの予感に支配されてしまう
好きなのに、怖い
愛しているのに、悲しい
でも、怖いからと言って、もう簡単に慧を手放せるほど俺の気持ちは融通が効かなくなっている。
もう頭のなかが滅茶苦茶だ。
世の中の人たちっていうのは、こんな矛盾や葛藤を抱えながら平気な顔して生きてるわけだが、それは俺からすればただ事じゃない。
と言うより、正気の沙汰じゃない。
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