プロローグ 

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 退屈だ、ああ、退屈だ――  麗しい二つのコバルトブルーの宝珠を繊細な睫毛に隠し、シャロン・ ファリス・ロンド・フィリップ侯爵は更けた夜空を遮る透明な壁に右拳をやんわりと打ち付けた。  そうしていてふと目を開けたシャロンの瞳に、ガラスに映った辛気臭い表情の紳士が飛び込んだ途端に、胸糞が悪くなった。  低く呻いたところで、後方から甘ったるい女の声がシャロンの名を呼んだ。  グラマラスな赤いルージュを形のよい唇に引き、こぼれそうな胸元と素肌を惜しげもなく晒すブロンドの美女は、紅薔薇色のドレスの胸元をわざとはだけさせ、悩ましげな表情でシャロンの後方に忍び寄る。  専用の染料やビーズで彩られた白い指先がシャロンの両肩口から艶かしく這う。  背に押し付けられる柔らかい膨らみは、男の内部に眠る動物的本能をひどく掻き立てるものだ。  だが、シャロンは全く動じる素振りすらせず、女の腕を振り払った。  「今はそういう気分ではない」  氷の刃のような低いトーンを披露すると、女は一瞬竦み上がったものの、それでも後方から絡む指先は尚も艶かしさを増し、シャロンのシャツの襟首に回る。  「シャロン……、ねぇ、最近あなた冷たいわ。 眉間に皺なんて寄せていないで、向こうに行きましょうよ。  招待客を放っておくなんて主人としては許されざる行為よ」  きつい香水のかおりはシャロンの顔を更に歪ませるだけに過ぎなかった。  女の腕はするりするりと器用に彼のクラバットを外していく。  「ローエル嬢、君のような女性に主人としての振る舞いを正されるいわれはないと思うが。  それと、魅力のない誘いに身を投じるほどぼくは愚かではないことを付け加えておこう」  「ああ、そんなことおっしゃらないで、シャロン。  わたしはあなたが欲しいだけよ……」  低い悪態の声も、シャロンの魅力を引き立てるだけに過ぎなかった。  ローエル嬢は臨戦態勢に入ったとばかりに完成された美しい胸を寒々しい夜の気配に零した。
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