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一方、万葉は顔を強張らせた。
――ビジネスライクな話。
結婚が恋愛とは違い、ある種の「契約」だとは分かっている。
――だけど。
万葉は久保が自分との結婚を「ビジネスライクな話」と言った事に、今までの数年間の日々を全否定されたような心地になった。
たとえそれが恋とは違ったとしても、同僚としての信頼は得ていたと少し自惚れていたのに。
――口惜しい。
江梨がいる前だと言うのに、思わず歯噛みをする。
自分に「ビジネスな関係」と言い切るだけならまだしも、江梨にまでそう宣言されると一気に腹立たしくなる。
――酷いヒト。
万葉は詰りたい気持ちをぐっと飲み込むと、「はあ」と重い溜息を洩らした。
「――万葉ちゃん?」
江梨の呼び掛けにも、うまく笑みが作れない。
彼女の雰囲気が久保のそれと似通っているからか、余計に心が落ち着かない。
「――平気?」
優しい言葉に、じわじわと視界が涙に滲んでくる。
万葉は一気に目を潤ませた。
――ぽたり。
今朝の爽快さは消えてしまって、口惜しさで胸がパンパンになる。
その様子に江梨はハンドバッグの中からハンカチを取り出すと、万葉へとそっと差し出した。
「……ありがとうございます。」
受け取りながら答えた声はもちろん、徐々に肩も唇も小刻みに震えてくる。
――泣き止まなきゃ。
そう思うのに、心はなかなか言う事を聞いてくれなくて、目頭が焼けるように熱い。
最初は心配そうに様子を窺っていた江梨は、万葉がぼろぼろと涙を流し始めると、席を万葉の隣へと移動し、優しくその背中を擦った。
「急に、すみません……。」
ぐすっと鼻を鳴らしながら、涙を借りたハンカチで拭う。
「そもそも『ビジネスライクな話にしよう』って持ちかけたのは、私なのに……。」
万葉は眉間に皺を寄せながら、自嘲の笑みを浮かべる。
「あなたから持ちかけたの?」
「ええ、あの時はどうしても久保さんを私の方に振り向かせたかったんです。」
今はもう、この恋は叶わぬ恋だと分かっている。
これ以上足掻いたところで、久保も自分も傷付くばかりだとも。
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