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「それなら良いんだ。よく考え直してくれたな……。」  安堵の笑みを溢す父親を一瞥すると、そのまま泡を崩しながら洗顔していく。  万葉は泡だらけの手で蛇口を捻りながら、込み上げてくる苛立ちを顔の泡と一緒に洗い流した。  ――父は考えが顔に出過ぎる。  その事自体は悪ではないし、「教育者」として生きるのならば害にならないだろう。  しかし、ビジネスの世界で、かつ、「長」という役職についていながら、駆け引きが出来ないのは「致命的な欠陥」と言っても過言ではない。 (……こんなんだから、高津さんに良いように使われるんだわ。)  侮られて、良いように使われて、用が無くなったら捨てられる。  万葉は蛇のように絡み付く高津の漆黒の瞳を思い出して、いつもより念入りに顔を濯いだ。 「……ああ、そうだ、万葉。『久保くんと約束したから言わない』って事は、結婚をオーケーしたって事かい?」 「――ええ。」  そして、びしょびしょの顔のまま、フェイスタオルを手にする。 「……でも、やっぱりお断りするつもり。」 「え?」  父親が驚き、目を丸くする。 「――急に何故?」  万葉は答えを待っている父親を無視して、顔を拭いたタオルを洗濯機に放り込んだ。  ――これ以上、傷付けたくないし、傷付きたくない。 「……大人気なかったって思っただけ。」  そして、臆病風に吹かれただけだ。  ――心までは手に入らない。  それは始めから分かっていた。  無理にそれを手に入れようとすれば愛しい者を苦しめてしまう。  ――だけど。 『――これはビジネスだ。感情は抜きにしてくれ。』  怒りを露わにして、厳しい口調で言い放たれた言葉を思い出して辛くなる。  ――ビジネスな関係。  あの夜はそれでも構わないと思っていたのに、彼に避けられて顔も合わせられない日々を過ごすと胸がぺしゃんこに潰れてしまいそうに苦しい。  万葉は久保の仕打ちを腹立たしく思いながらも、それを詰れるほど厚顔無恥にもなれない自分にため息が出た。  高津が言うようには、とても振る舞えない。
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