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高津はククッと喉を鳴らして笑う。
『――君が理事長になってくれれば、他の事も話が早いのに。』
「……お生憎様、私が理事長なら、あなたなんかに利用されないわ。」
『――利用だなんて、人聞きの悪い。私はビジネスパートナーを求めてるだけですよ? 後援は多ければ多いほど良いですから。』
「ビジネス、ね……。」
そう言って切り捨てられた心が、今さら悲鳴を上げる。
――彼の心も苦しむのだろうか。
万葉は父に向き直ると、さらに言葉を続けた。
「……高津さんは私と手を組んでいた事を、亜希さんに知られたくないでしょうし。」
彼も自分と一緒で、ままならない恋心を持て余している。
他の誰にも傷付けられないように守りたい。
苦しむなら自分の事にだけ、傷付けば良い。
一見して、相反する気持ちを同時に抱く苦しさ。
人の心の機微に聡い彼が、それを抱かないはずがない。
――彼はこの苦しさを、どうしているのだろう。
「……だが、それだけで本当に手を引いてくれるだろうか? 彼は有言実行の男だ。」
「そうね……。でも、他にも条件を出すつもりだから。」
「他にも?」
「ええ、まずは後援体制を整えるのが一番でしょうから。」
彼にとってのもう一つ大事な目的。
目下のそれは、学園経営の立て直しだろう。
それなら久保と結婚しなくても、この父親にもう少し理事長として居座って貰っておきつつ、自分がうまく立て直してをはかれば良い。
「……お父さんは今まで通り仕事に専念して。高津さんが苦手なら、彼との交渉は私がやるわ。」
その言葉を聞くと、嬉しそうに笑う。
万葉は小さくため息を吐くと、今度は化粧水の瓶に手を伸ばした。
「……それで納得したなら、お化粧の続きをしても良い? 遅刻しちゃう。」
化粧水の蓋を開けて、中味をコットンに染み込ませてパックするみたいにして顔に塗る。
「ああ、時間を取らせたな。」
そして、父親は踵を返して去っていく。
万葉は鏡の中の自分を見た。
少しだけ自分が「大人」になった気がする。
――「新しい」一日が始まる。
化粧が終わると、万葉はひとつ深呼吸をして、その場を後にした。
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