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 久保の悪夢は、祥子と俊幸に捨てられる夢なのだろう。  ――ごめんなさい。  小さな拳は固く閉じられて、苦しそうに口を歪ませる。  ――僕を捨てないで。  震える唇で、そう繰り返す久保の様子に、江梨は三つ違いの異母弟を不憫に思い、一つの決意をした。  ――貴俊は絶対に幸せにする。  その為には、祥子と真っ向勝負する事も厭わない。 《独りは……嫌だよ……。》 《――大丈夫、私がついてるから。》  小さな久保の手を握り締めて眠った日々から、もう20年以上。  ――自分は籠の中で構わないから。  ――この子は自由にしてあげて。  そう願ったのに、神様は何で異母弟ばかり苦しめるのだろうか。  江梨は解決策がそこに書かれているわけでもないのに、空を見上げた。  飛行機が空高く白い雲の線を引きながら、飛んでいく。 「――恐れ入ります。」  びくりとして振り返ると、ショートカットの女性が立っている。  涼しそうな紺色のサマーセーターにアイボリーのパンツ。  マリン風なコントラストで、赤いスカーフなんか巻いたら、とても似合いそうな女性だ。 「花壇内に立ち入らないでいただけますか?」  江梨は花壇の枠を踏み越えている事に気付く。 「ああッ! ごめんなさいッ!」  慌てて欅の木の傍を離れた。 「――どなたかに、ご用でしょうか?」  少し猫目な女性の応対は丁寧ながら、愛想を振りまく気配がないのを見ると、恐らく事務員なのだろう。 「よ、用……。うん、まあ……。」  江梨が曖昧に相槌を打つと、目の前の女性はわずかに眉を寄せた。 「ご用が無いなら、構内は関係者以外立入禁止なので……。」 「い、居ます、居ます! 用、ありますッ!」 「……本当に?」 「ほ、本当に。」 「それでは、来賓玄関で記名をお願い致します。」 「あー、やっぱり。記名しなきゃダメですよね……。」 「ええ、お名前と日時、それと来校目的を書いていただかないと。」  その言葉に江梨は思案顔になる。 「うーん、どうしよう……。ばれたくないんだけどなあ……。」  そして、まじまじと事務員と思しき女性を見ると、江梨は何かを閃いた様子でぽんっと手を一つ打った。 「そうだ、あなたに聞けば良いんだわ!」  一人合点する江梨を、相手の女性は不可解な眼差しで見てくる。
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