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新富町は僕が生まれるよりも前には遊廓があったらしい。
今はもうないけれど、芝居小屋があるから芸者さんも多く、新橋に次ぐ華やかな町だ。
足を踏み入れ慣れていない町にびくついていると、蘭之助さんが僕の腕を引いた。
「こっちだ。」
さすが蘭之助さんは歩き慣れていて、細いいりくんだ路地をすいすいと歩いていった。
そして一軒の置き屋と思われる建物に行き着くと、挨拶もなしに入っていってしまった。
当然、奥から出てきた人に咎められる。
「チョイと!あ、なァんだ八代目じゃないかァ。」
髪を結う前の芸者さんは蘭之助さんを見ると表情を緩めた。
「よゥ、相変わらず色っぺェな。」
蘭之助さんが言うと、芸者さんはクスッと笑った。
「八代目ほどじゃないサ。それにしても今日はなんたって男の格好なんかしてるのサ……。」
「男が男の格好して何が悪ィ。そんなことより雪助は?」
「いるよォ。今日は調子いいみたいでねェ。それにしたって八代目も物好きだねェ、あんな病人の年増にお熱だなんて。」
「俺ァじっくり熟れたモンを食うタチでなァ。」
「マァ、やらしいこと!あら、お連れサン?可愛い子じゃないかァ。」
蘭之助さんは僕を隠すように芸者さんの前に一歩出て、色っぽく笑った。
「こいつァまだ修行中だからよォ。うっちゃっておくんなァ。」
「ふぅん。ま、いいとしようか。そんかわし、今度可愛がっとくれよォ?」
「そいつァ俺の息子次第だな。じゃああばよォ。」
僕は大人の間で交わされる会話にどぎまぎしながら、蘭之助さんに手を引かれるままに歩く。
蘭之助さんは歌舞伎役者だもの、きっとこういうところにもよく出入りしているんだろうなぁ……
蘭之助さんは襖絵に雪でしなる柳が描かれている部屋につくと、ためらいがちに声をかけた。
「蘭之助だが、入って構わねェか?」
すると中からか細い声が返ってくる。
蘭之助さんはその返事を聞くと僕を促して部屋のなかにはいった。
蘭之助さんの後に続いて部屋に足を踏み入れた僕は、部屋の真ん中の布団の上に座る女の人を見て、どこかで会ったことがあるような心持ちになる。
顔色が悪くてすごく痩せているけれど、とても綺麗な人だ。
この涼しげな目元の感じ、それにふっくらした唇……
あれ?
蘭之助さんに似てる?
じゃあお母様って、この女の人?
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