第9章

9/17
1945人が本棚に入れています
本棚に追加
/463ページ
新富町は僕が生まれるよりも前には遊廓があったらしい。 今はもうないけれど、芝居小屋があるから芸者さんも多く、新橋に次ぐ華やかな町だ。 足を踏み入れ慣れていない町にびくついていると、蘭之助さんが僕の腕を引いた。 「こっちだ。」 さすが蘭之助さんは歩き慣れていて、細いいりくんだ路地をすいすいと歩いていった。 そして一軒の置き屋と思われる建物に行き着くと、挨拶もなしに入っていってしまった。 当然、奥から出てきた人に咎められる。 「チョイと!あ、なァんだ八代目じゃないかァ。」 髪を結う前の芸者さんは蘭之助さんを見ると表情を緩めた。 「よゥ、相変わらず色っぺェな。」 蘭之助さんが言うと、芸者さんはクスッと笑った。 「八代目ほどじゃないサ。それにしても今日はなんたって男の格好なんかしてるのサ……。」 「男が男の格好して何が悪ィ。そんなことより雪助は?」 「いるよォ。今日は調子いいみたいでねェ。それにしたって八代目も物好きだねェ、あんな病人の年増にお熱だなんて。」 「俺ァじっくり熟れたモンを食うタチでなァ。」 「マァ、やらしいこと!あら、お連れサン?可愛い子じゃないかァ。」 蘭之助さんは僕を隠すように芸者さんの前に一歩出て、色っぽく笑った。 「こいつァまだ修行中だからよォ。うっちゃっておくんなァ。」 「ふぅん。ま、いいとしようか。そんかわし、今度可愛がっとくれよォ?」 「そいつァ俺の息子次第だな。じゃああばよォ。」 僕は大人の間で交わされる会話にどぎまぎしながら、蘭之助さんに手を引かれるままに歩く。 蘭之助さんは歌舞伎役者だもの、きっとこういうところにもよく出入りしているんだろうなぁ…… 蘭之助さんは襖絵に雪でしなる柳が描かれている部屋につくと、ためらいがちに声をかけた。 「蘭之助だが、入って構わねェか?」 すると中からか細い声が返ってくる。 蘭之助さんはその返事を聞くと僕を促して部屋のなかにはいった。 蘭之助さんの後に続いて部屋に足を踏み入れた僕は、部屋の真ん中の布団の上に座る女の人を見て、どこかで会ったことがあるような心持ちになる。 顔色が悪くてすごく痩せているけれど、とても綺麗な人だ。 この涼しげな目元の感じ、それにふっくらした唇…… あれ? 蘭之助さんに似てる? じゃあお母様って、この女の人?
/463ページ

最初のコメントを投稿しよう!