第9章

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思わず悲鳴をあげぞうになったけれど、再び蘭之助さんが僕の口を塞いだ。 そして静かな声で僕に告げる。 「泣き言はやめろ。」 刃物に身をそがれるような澄んだ迫力を前に、口から出かかっていた悲鳴もどこかにいってしまった。 「よし。まず耳塞げ。」 「み、耳?」 「塞げ。そして進め。」 「は、はい。」 言われるとおりに埃の積もった通路を這って進むと、途中で階段が現れた。 食堂からはだいぶ進んだはずだ。 耳を塞いでいた手を離しても、もう物騒な音は聞こえなかった。 蘭之助さんは急に足を止め、僕を抱きしめた。 「わ?!ら、蘭之助さん?!」 「悪かった、あんな言い方して……。穏やかでいられるわけねェよな。」 「ら、蘭之助さん……。」 「和海は時間稼ぎをしてくれてンだろ?それを無駄にするわけにはいかねェ。行くぞ。」 僕の手を引く蘭之助さんの手はいつになく冷たい。 蘭之助さんは和海さんの幼馴染だ。 僕よりずっとずっと付き合いが長い。 蘭之助さんだって内心心配でたまらないはずだ。 それでも僕を不安にさせないため、表に出さないようにしてくれているのだろう。 「ごめんなさい、蘭之助さん……。」 「俺に謝ってどうすンだ。」 「……早く警察を呼ばなくちゃ……。」 「ああ、そのためにも早くこっから逃げねェと。お、やっと撞球室だ。」 石造りの階段を上りステンドグラスがはめ込まれたドアをそっと開け、蘭之助さんは埃まみれの撞球室を見渡した。 「大丈夫だ。ここにはまだ人が来てねェ。英、あすこの窓から出るぜ。すぐに裏の通りに出られる。」 「は、はい!」 蘭之助さんに先導されて外に出ると、蘭之助さんは人力車を拾う。 「オイ、新富町に回してくれ。」 実直そうな車夫は愛想のいい笑顔を浮かべて頷くと、僕らを乗せて走り出した。 「あの、何故新富町なんですか?」 僕が尋ねると、蘭之助さんは肩をすくめた。 「俺の母親がいる。」 「母親?!お、お母様が?!」 「お母様なんてたいそうなもんじゃねェよ。」 苦い顔で笑いながら蘭之助さんは言葉を続ける。 「俺の母親が新富町にいることを知っているのは、和海と優男、あとは役者仲間の吉佐衛門、あとは俺の身内だけだ。そいつらが漏らすことはねェだろう。それに優男が訪ねてくるかも。」 「そ、そうですね。」
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