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一 妖刀
皐月(五月)十三日。
昼前。
まのびした声が響き、通りを向こうから棒手振りが歩いてきた。
「もし、唐十郎様・・・」
すれ違いざま、棒手振りの老婆が天秤棒の籠を降ろして籠の藁束を示した。
「あなた様に会うたら、これをお渡しするよう、天子様から言いつかっておりました」
唐十郎は直ちにそれが刀と分かった。
「それは如何なる事かっ。天子様とは誰だっ。私はそのような刀を受けとる謂われが無いっ」
唐十郎の口調は激しかったが、さほど驚いていなかった。
「これはあなた様の定め。来し方、行く末に続く・・・」
老婆が衣を脱ぎすてた。下から黒装束の若い女の姿が現われ、籠の上に刀を残したまま一瞬に宙へ舞いあがって築地塀の向うへ消えた。通りには人っ子一人おらず、この状況を見た者は誰もいない。
唐十郎は籠の藁束から刀を取りだした。鞘を払うと生きてこの方見覚えのない刃文が陽光に浮きあがった。唐十郎の背筋が異様にざわついた。明らかに妖刀だ。
夕刻。
唐十郎は内神田横大工町の長屋に帰った。
「旦那。お帰りですかい。入りますよ」
長屋の障子戸が開き、大工の藤兵衛が唐十郎の長屋に現われた。
「今、帰った。まずは一杯・・・」
藤兵衛を部屋に上げて唐十郎は茶碗酒を勧めた。
「この刀から紫の雲のような妖気が漂ってきますぜ」
藤兵衛は床の間の妖刀を見て、異様な気配が漂っていると言い、唐十郎の注いだ茶碗酒を飲みながら話した。
藤兵衛は、神社の富くじで一等が当ると夢で教えられ、その翌日、富くじを買い、一等の米一俵を手に入れた霊感の強い男である。一見、町人風の藤兵衛だが素性は武士崩れの大工だ。その手並みは大したもので、ちょっとした物なら何でも作ってしまう。その藤兵衛が妖刀を見て言う。
「刃物には魂が宿ると言います。鍛冶の魂と使い手の魂が宿るんです」
「ならば、どうすれば良いか」
忍びと思われる黒装束の女から妖刀を受けとった後、唐十郎は日野道場の手合わせ稽古を忘れてそのまま長屋に帰り、思いだして再び日野道場へ行ったが稽古はすでに終っており、師範代の穣之介から一言嫌みを言われた。唐十郎はその事を藤兵衛に話した。
「やはり、惑わされたんですね。あっしが仕えていた・・・」
藤兵衛は某藩に仕えていた頃を話した。
藤兵衛がかつて侍だった頃。仕えた藩の土蔵に家宝の刀が厳重に保管してあった。人を何人も斬ったが刃毀れ一つせず、人の魂を吸って長らえた刀、と噂になった。刀の素性を知るのは藩主一人で、町人になる許可を得た藤兵衛が藩を出る前に藩主が急死ししたため、刀の由来はおろか、刀も行方不明になった、と聞いていた。
茶碗酒を飲みながら藤兵衛は話し続けた。
「その後、刀がどうなったかわかりませんが、人の魂を吸った刀なんぞいけませんぜ。旦那の知り合いに、忍びや天子様に関わる方がおいでですか」
「そのような者は居ない」
「それにしてもこの刀、今宵はその護符で封印し、床の間に置くしかありやせん」
藤兵衛は床の間にある不動明王の護符を指さした。
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