波旬の娘

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「待てっ」 彼岸が紅葉の気配を高みに追い、叫んだ。 言葉を発せられるのに、体が動かないことが情けなくて堪らないのだ。 錫杖の男は一連のやり取りを黙殺し、先刻から一心に何やらぶつぶつと唱え続けていた。 体が動かせなくとも、口が動くというのならば、彼がするべきことは一つ。 紅葉の狙いだったのか、失敗だったのか。 微かに、男の錫杖の輪が揺れる。もう一度、気を入れて力を込める。 じゃらんっ 錫杖の輪が重く鳴って、杖の先が土を深く抉った。 しめたと思った瞬間に男は駆け出した。未だに動けない少女の方へ、勢いで彼女をすくい上げるように抱き上げると、踵を返して木立の間に転がり込んだ。 直後に、引き裂くような音をさせて、雷が彼岸のいた場所を直撃していた。 紅葉が消えて、錫杖の男がいましめを解く迄の間は、さほどの猶予はなかったであろう。 危ない橋を渡った訳である。
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