第1章 遅れて来た客

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 エレベーターの扉が開くと、馴染みのウェィターの営業スマイルに出迎えられた。  いらっしゃいませ、という挨拶を最後まで聴き終わらないうちに、急いで右手のウェィティング・バーに足を向ける。  優美な曲線を描いた大理石のカウンター近くにも、壁に沿った重厚な革張りのソファー席にも、それらしき人影はない。  待ち人がいないことを確認して、早見沙希は安堵の溜息をついた。 「沙希さん、ヤケに慌てているね」  声に振り向くと、バーテンダーの落合がカウンターから片手を上げ挨拶をして寄越した。 「当り前じゃない。この前みたいに、担当者が夕食会に遅刻するなんて何事だ、って客に小言を言われたら大変だもの。最初からプリプリされたら、ときめきの出逢い、なんていう雰囲気にならないし。 でも、この時間になってもまだ誰も来ていない、っていうのも心配だわ」  このスペイン料理レストラン「タベルナ」は銀座の宝飾店ビルの上階にあり、初めて訪れる客にはエレベーターの入口が見つけにくい。  手元の携帯電話を見るとデジタルの時刻表示はちょうど六時四十五分で、男女それぞれ三人の参加者に伝えておいた集合時間だ。  二月二十日金曜日。携帯のメモで今宵の客の名前を確認する。  沙希が勤めているのは「ディナー・クラブ」という出逢いを仲介する会社だ。    平たく言えば結婚紹介業だが、社長の三枝麗子の言を借りれば、多忙なエギュゼクティブやキャリア女性がお洒落な夕食を楽しみながら素晴らしい出逢いに恵まれる機会を提供する会社、ということになる。  三人ずつ引き合わせるということが肝要なの、と麗子は綺麗にネイルが塗られた指を三本立てながら、タウン誌の取材で会社を訪れた沙希に説明した。  仕事だ稽古事だと忙しい現代人は、ウマが合わないかもしれない相手と数時間をつぶすような無駄を嫌うが、一度に三人紹介されれば、その中に一人ぐらい心惹かれる異性がいる可能性も高まる、ということらしい。  伴侶を求める男女を夕食のレストランで一度にまとめて紹介する、という事業コンセプトはアメリカから来たもので、麗子はニューヨークにあるディナー・クラブの本社からフランチャイズを受け、東京で紹介業を展開しはじめたところだった。
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