第1章 遅れて来た客

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相手の方が興味を持っていらっしゃることを積極的に伺って、努めて共通の話題を探して、明るく爽やかにお話し下さいね」 「わかっていますよ。早見さんに注意されてから、ちゃんと相手の眼を見てものを言う訓練をしておきました」  教師に叱られた生徒のように萎縮して沙希に応えた高橋の背後から、春めいた薄紫色のスーツを着た常連の長瀬晶子が現われた。 「長瀬さん、お待ちしていたわ。ご紹介します。こちらは高橋直人さん。大手町の日本鉄鋼にお勤めだからお二人はオフィスが近いわね。 高橋さんは駅伝の選手をなさっていたスポーツマンで、尺八の演奏という日本男児的なご趣味もあるそうよ。高橋さん、長瀬晶子さんは最近日本舞踊のお稽古を始められたところなの」  長瀬晶子。人材派遣の会社から派遣されて銀行に勤めており、毎回ブランドものらしき高価なスーツで登場する。沙希と同じ三十四歳。  憧れの男性として有名な韓国の俳優の名を挙げ、理想の男性が見つかるまで何度でも出逢いを追い求める、と宣言しているクラブの上客だ。  ディナー・クラブでは夕食会の出席者に他の参加者の名前や履歴を前もって知らせない。誰と一緒に食事をすることになるかわからない、という点では完全なブラインド・デートだ。  これは先入観を持たずに出逢って欲しいからだが、会員に選り好みをさせないことにより、クラブ側の夕食会の運営を容易にするためでもある。  沙希の紹介で高橋と晶子が話をはじめた頃に男性会員がもう一人登場し、しばらくして残りの女性会員二人がやって来た。  夕食会では食事の十五分前に参加者に集まってもらい、社の人間が紹介役を勤めて皆の緊張を解きほぐし、後は客だけで食事をしてもらう。  再び携帯で時刻を見ると既に七時を過ぎているが、最後の男性客である永坂が現われていない。  永坂俊樹。慶優大学を出て東都物産の新規事業部に勤める、ということ以外、彼のプロフィールを詳しくは知らない。  というのも、火曜日になって参加を突然キャンセルしてきた男性会員の代わりが見つからず、困り果てた末に、弟の恵二に無理やり頼み込んで紹介してもらった。言わば、サクラの客だ。  姉さん、またか? 今度ちゃんとしたメシを奢れよ、と電話でふてくされた声を出しながらも、気の優しい恵二は手を尽くして探してくれたらしく、この金曜日の夕食会に穴を開けないですんだ。    
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