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その真剣な様子に、逃げ出したい気分になったけど、私は憲一さんに視線を移した。
「俺からも頼む。
仕事の合間でどうにかなるなら、教えてやってくれないか?
母さんも、出来ればお前に教えてほしいってさ」
憲一さんは控えめにそう言った。
“母さん”・・・そう言われると、私はこれ以上断れない。
そして・・・憲一さんにそう言われると複雑な気持ちになる。
憲一さんのお母さんは、私にとってピアノの師匠で、親のいない私にとっては小さい頃から母親代わりで、憲一さんが兄代わりだったのだ。
だから、師匠と憲一さんの言うことを私は断れない。師匠としてのご恩もあるし、親代わりをしてくれた人、だから。
そして憲一さんは・・・いつごろからだろうか・・・・?
二言目には、「母さんがそうしろって」「母さんに言われたから・・・」という言葉を頻繁に使うようになっていた。
憲一さんがこうして私のそばにいてくれるのも、父を病気で失って、一人ぼっちになった私を師匠が心配して、憲一さんに、私のそばにいるように言ったらしい・・・
結局憲一さんが、こうして私のそばにいるのは、師匠に言われたからで・・・彼の意志ではない。
それがわかってしまうからこそ・・・彼の言葉や、優しい親切の一つ一つ、素直に受け取れない。きっと彼の、私に対する行動も言動も、師匠の命令が混ざっているものだから・・・
そして今回の事も・・・
師匠の命令なら、私がこの子を教えることを断ることなど出来ない。憲一さんもそれはよく判っている・・・はずだ。
「・・・あまり・・・子供向けなレッスンは出来ないかも知れません。それでもいいですか?」
普段、子供相手のレッスンをしていない私、正直子供を相手にする自信はなかった。
そう聞くと、香織さんははい、と頷いた。
「よろしくお願いします」
香織さんがそう言ってお辞儀すると、まるでそれに習うように隣に座る子供も深くお辞儀した。
「よろしくお願いします」
そう言って顔を上げた子供の目は、生き生きと私を見つめていた。
その視線に、気圧されるような気がした・・・
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