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私が産まれたのは今から20数年前。
母と父が楽しみにしていた第一子。
近所の産婦人科で帝王切開にて産まれたそうだ。
それから母と父が暮らす、
小さなアパートで可愛がられながら
2歳まで生活し、
その後小さな公園が目の前にある
平屋の小さな家に引っ越した。
不思議なことになぜか
1番長く過ごしたはずの母との記憶はあんまりないんだが、
父との記憶ばかり覚えてる。
朝、父が仕事に出ると
私は泣きじゃくり、地団駄を踏んで泣いた。
出窓から、私が泣きじゃくる姿を見ながら父は寂しそうに仕事に行くんだ。
父が出発した後、
いつもしばらく手のつけられないほど泣きじゃくったそう。
父は、
仕事に出発した後、
心苦しくなり、何度も家に戻ってきたこともあった。
何度も何度も遅刻した。
父が帰宅すると、
父は、晴れてる日には必ず私を肩車して、
近くの神社にお参りと、家の前の公園で
遊んでくれた。
今思うと涙が出るほど幸せだったなあ、と思う。
けど、たまに父と母が夫婦喧嘩をしてたかな。
母も気が強く、それはもう子供からしたら戦争だったけど。
そんな幸せな日常のなか、
母が第二子を発表。
私が4歳だった。
妹が産まれたよ。
4歳だったけど覚えてる。
産婦人科に父と妹を見に行ったんだ。
可愛かった。
私が産まれたばかりの妹の鼻を
チョンと触ると、笑ったんだ。
今だからわかるが、
意味なく笑う新生児微笑ってやつだ。
でもそのときはものすごく嬉しくて
可愛くて可愛くて仕方なかった。
妹が産まれてから、
不思議なことにまたもや全く記憶がないんだ。
ある一時から、ちらほら記憶があるんだけど。
ママとパパ、
どっちについて行く?
って母に言われた。
その時からちらほら記憶がある。
選べなくて選べなくて
泣きじゃくったな。
それからまた所々しか記憶がなくて
いきなり家が建ってるんだ。
お店付きの。
母は、
小さな居酒屋が付いている
店舗付き住居を構えた模様だ。
日の当たらない、
真っ暗な六畳一間が子供部屋として住居の1番奥に設けてあった。
うん、今思うと
追いやった感じが半端じゃないね。
なんにも考えてなかったんだろうな。
子供達の成長や環境とか、いろいろ。
だったら手放せば良かったのに。
なんで連れて行ったんだろうか。
これが地獄の始まりだった。
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