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「姫に何事かあったのか」
「いえ。姫ご自身は何ら御変わりないのですが、…猫を飼いたいと、願われているそうです」
「猫?」
思いもよらぬ話に、東賀は驚く。
「何でも、奥の院近くの森で、迷いこんでいた子猫を、姫ご自身が見つけられたらしく、その猫を飼いたい、と」
続く説明に、東賀は顔色を変えた。眉間に深く皺を寄せ、鋭い視線を男に向ける。
「結界は?」
いくら子猫といえど、あそこに張られている結界をくぐり抜けるのは、不可能な筈であった。
「急ぎ確認致しましたが、何の変化も、触れた形跡すら御座いませんでした。」
「その猫自体はどうだった?お前の、《善知烏(うとう)》の良き耳には、何か聴こえたか?衣佐(いさ)」
衣佐と呼ばれたその男は、東賀の問いに身を起こす。短い灰色の髪に、碧色の瞳の、まだ若い、二十半ばの青年であった。彼もまた、能力者の血族の一族の一人である。
楼院の中でも、古くから優秀な能力者を輩出してきた、五つの名家は《五大家》と呼ばれ、強い発言力を持つ。
善知烏もその一つに数えられる一族で、名家中の名家であった。
善知烏の能力は優れた聴力にあり、彼等の耳は、常人には聞こえない音をとらえる。
昔から羽原咲家と関係が深いため、羽原咲の片腕として主に情報収集や、調査を任されている。
一族の中でも、特に衣佐は抜きん出た能力を持つ。
あまりに聴こえすぎるため、耳に布の覆いを付け、更に耳の回りだけ伸ばした髪で覆わなければ、生活に支障が出る程だ。
その能力と実直な人柄を買われ、若いながらも、楼主の側近を務めている。
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