第1章

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 肌を刺すような空気が、ほのかな匂いと共にやわらぎ始める頃。人々はその年の豊穣を祈る祭典を行う。  地龍という領主を得ているのだから、土地が貧しくなることはない。だが、汚れることはある。汚れはどこからともなくやってくる場合もあれば、人々が知らずに汚すこともある。その汚れを浄められるのは人々の努力と、多くは天龍の力による。そのために祈るのだ。天龍に快く力を貸してもらうために。  しかしそれは、わたしたちも望むもの。故にこの祭典には我らも関わるのだ。それも、妻は、人と天龍の橋渡しとして。  ーー美しい。地龍の姿は格別に美しいが、人形(ひとがた)も美しい。今日のように飾り立てた姿は、彼女を天龍のような存在に昇華させている。つまりは際限なく惹かれるのだ。 「紅緋、美しいな」  自分も人形を取って妻の前に立つ。豊かな赤土の髪を指に絡めると、恥ずかしそうに頬を赤らめてはにかんだ。 「ありがとう。翡翠に褒められると嬉しい……」  その姿は非常に愛らしいものだ。つられてこちらも笑みになる。 「ねえ、どうかしら。おかしいところはない?」  紅緋は人から献上された衣装を身に纏い、くるり、くるりと身をひるがえした。紗の衣が霊気の帯のように舞う。下に纏っているのは少し厚手の黒い布で、人の手によって繊細な刺繍が丁寧に施されている。紅緋の髪と同じ赤土の色と、この辺りを気に入っている天龍と同じ若い芽の色だ。紅緋の人形の肌色を考えて作っただけあって、よく映えている。 「何も、おかしいところはない。いつも以上に美しい」  そう言葉をかけると、紅緋は少しもじもじしてから、ぱっと床を蹴ってわたしに抱きついてきた。龍の姿とはまた違う接触だ。人の肌は柔らかく鱗もないから、より互いの身体が近しい感覚を受ける。それも、またいい。 「翡翠、大好きよ」  耳元で声がとろけ、吐息がくすぐる。たまらず紅緋を抱きしめて囁く。妻の愛に応えずにいられようか。 「わたしもだ、紅緋」  しかしすぐに腕を解いて髪を撫でた。 「さあ、行こうか」  応えて紅緋が、いくぶん凛とした笑みを浮かべて頷いた。 「ええ、行きましょう」  
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