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この辺りを気に入っている天龍は、今から三十年ほど前にこの土地へ現れた。天龍というものはおおよそ気まぐれなもので、この若い天龍も同じく。ある日、そよ風とともにやってきたのだ。
普段は霊界で暮らす天龍だが、たまにこうして、ふらりと現れては恩恵をもたらしていく。しかし、彷徨うように長居されると困る。なぜなら、天龍というものは霊気を糧に生きている。霊界を出た天龍は身の内の霊気を消費しながら動く。
故に、こちらにある動植物から霊気を摂取してしまうのだ。すると動植物は霊気を失い、生命力も失ってしまう。そうなってしまっては、汚れよりもひどいだろう。育つこともなくなってしまうのだから。
天龍の霊気を辿って空をゆく。まだわずかに暖かいと感じる程度の陽気だが、豊穣の季節は確実に近づいているのを感じられる。紅緋も好きな季節が、近い。
件の天龍は、そんな空気を楽しんでいるように、空中をくるり、くるりとうねりながらこちらへ向かっている。
「ご機嫌だな」
呆れ半分で声をかけると、若い天龍はちらりとこちらを見てから、大きくくるりと回って目の前までやってきた。動きにあわせて天龍の身体はちらちらと輝く。魚でいえば鱗のような輝きだが、光っているのは天龍の体内にある濃密な霊気だ。
「霊煌(れいこう)が活発になっているからな。我も嬉しい」
そう言ってわたしの周りを大きく回ると、また目の前で止まった。
「さて、歌を聞いてきたのだろう」
「そう、歌な。なかなかに良い音だった。翡翠の伴侶なんだろう」
わざわざ名乗るまでもなく、天龍は名を知ることができる。分かっていても驚きは消えないものだ。
「我が伴侶の歌は、なかなか、というものではないぞ。しかと聞けば分かる。心が温かくなる音ばかりだ」
「なんだって?」
きょとんと目を丸くした若い天龍に小さく頷いて続けた。
「もうすぐ我が伴侶の好きな季節がくるのだ。それで、歌に彼女の嬉しさが溢れていただろう。はじめは堪えていたのだろうが、どんどん弾むような拍子を刻んで、隠しきれないのが可愛らしい」
歌声を思い出して笑むと、若い天龍はまぬけにも薄口開けて止まっている。
「なんだ。愛らしい声だったろう」
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