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それは、田中が誰かを好きな証拠だ。それに、愛人の件に対しては、田中は父を許したのかもしれない。
「人間は複雑になって、真実が隠れる。俺は、それでも人間として生きて良かったよ」
泣いて笑って、後悔して夢見て、忙しい人間は愛おしい。生きているということだ。
「ねえ、本当にきれいだよね。目がキラキラしていて、内から光が滲んで出ているみたいだ…天使も誰かを好きになったことがある、それは醜いの?」
田中の顔が、泣いているように歪んだ。しかも、足元が崖の端すれすれになっている。
崖の少し飛び出たところに田中は居るが、俺はその五メートル手前まで来ていた。海が嫌いな直哉は、やや後方に居る。
「好きになった。あれこれ必死に考えるけど、怒られてばかりだ。醜いというより、滑稽かもしれない。でも、一緒に居たい。心の中に自分が居ることが、ものすごく嬉しい」
足元を見ながら少しずつ前進していたので、棒読みになってしまったが、伝わってくれるとありがたい。
「偽霊能力者だったり、霊視ができなかったり、無鉄砲だったり。欠陥だらけの俺を好きだと言ってくれて、嬉しい。天使なんていう存在を認め、許してくれた。俺はやっと居場所ができた。失いたくない」
ここで、告白してもしょうがない。そもそも、御形も居ない。でも、御形が居たら本音は言えなかったかもしれない。
「天使でも、居場所、無かったの?」
…同情されている。
「…無かったよ」
共鳴で、言霊が使用できると思った瞬間、目の前の人が消えていた。
月の前を、影が消えて行った気がする。飛び降りたのか? 次に、あれ程鳴っていた風の音が消え、波に何かが落ちた音が響いた。
田中、風に愛されている。だから、風が教えてくれた、田中は海の中に居ると。
「死なせてたまるか」
思わず、俺も崖の端まで走り寄り、そのまま海に飛び込んでしまった。
第六章 風刑の島2
海に飛び込んでから、当たり前の事に気が付いた。今は、冬だ。海面にぶつかった衝撃の後、心臓が止まるかのような冷たさが全身を包む。
暗くてよく分からないが、どちらが上なのか?パニックにならないように、静かに浮かぶ体を待った。
海から顔を出した瞬間、僅かに離れた場所に、ドバンというような水飛沫が立った。
「直哉?」
急いで泳ぎよると、水に沈んでいた体を水面に持ち上げた。
「溺れる…」
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