第1章

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 直哉は、泳げない。地上で、救けを呼んでいると思っていた。 「泳げないのに飛び込んでどうする?というか、直哉を助けていたら、田中を探せない?」  直哉が、思いついたようにうなずく。 「そうだね。つられて飛び込んでしまった」  そうだねではない。かなり、困った状態になっている気がする。  夜の波は荒く、浮かんでいるだけでも精一杯だった。しかも、視界は悪く、僅かな先でさえ波に消されてまともに見えない。浪打際だから、余計に視界が悪いのかもしれない。  波を避けるにしても、泳げない直哉をつれて、これ以上沖へも行けない。 「直哉…」  呆れ過ぎて、思わず笑ってしまった。 「ごめん、典史」  嫌いな海に、自分のことではないというのに、直哉も飛び込んでしまう。従兄で、同じくバカなのかもしれない。 「でも、無事で良かった」  近くに飛び込んでくれて良かった。二人も、この海では探せない。 「直哉、どこに田中は居る?」  直哉が、指をさした方向に浮かんでいる人影が見えた。 「よっしゃ」  翼を広げると、直哉を海の外に引き上げる。飛ぶということは、人前ではやってはいけないことかもしれないが、夜でしかも非常事態だ。 「恭輔、蓮に知らせて。それと、着替え、持ってきて」 「何度も言うけど、守護霊をパシリにするな!」  姿は見えないが、恭輔の気配が消えたので、蓮に連絡してくれているのだろう。 「直哉、とりあえず陸地に降ろす」  直哉を、岩場に降ろすと、田中の元へと向かった。  田中は、俺の姿を見ると、仄かに笑っていた。 「やっぱり、きれいだな」  俺が田中に手を伸ばしてきたので、つい手を取ってしまうと、逆に海に引き下ろされていた。 「生きなくては、いけませんか?」  風も冷たかったが、海も冷たい。抱き合うように浮かんでいるというのに、田中の体温も、全く感じなかった。 「人は、生きる権利しかない。たとえ自分であったとしても、殺すのなら殺人だ」  とにかく寒い。再び、飛ぼうとしたが、どうも田中に助かりたいという意志がない。田中が重い鉄のような固まりに思えた。 「そうですか、あの、こんな時ですが、キスしてもいいですか?」  確かに、こんな時に何を聞いてくるのだろう。 「こんなに、きれいなもの、見た事ありませんでした。確かに在ると、確かめさせてください」  返事はしていなかったが、唇に柔らかい感触がした。 「柔らかくて、温かい…」
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