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Deep clear sea
初秋の頃、所用で実家へ帰省する事になった。
帰省と言うと少し大袈裟だろうか。今住んでいるアパートがある駅は、実家から在来線を乗り継いで2時間もかからない場所にある。
大学へ進学したのを機に一人暮らしを始めて数ヶ月経つが今回が初めての帰省だ。
カンカンと路面電車の踏切の音が聞こえ始めると、僕は胸の奥をぎゅっと掴まれたような気持ちになった。高校時代毎日聞いたあの規則正しい踏切音が、彼の思い出と一緒にフラッシュバックして僕を追い詰める。
ふと目線を上げると吊革越しに懐かしい風景が飛び込んできた。ホームの隅に佇む小さなベンチ。そこは間違いなく春まで通学していた高校の最寄り駅だった。
衝動的に僕はその駅で電車を降りた。
夕方の駅は思っていたより混雑しておらず、家路へ急ぐ人々が改札を出ると、ホームは水を打ったように静まりかえった。
そのベンチは数ヶ月前と少しも変わらず同じ場所で僕を出迎えた。いや、数ヶ月と言わずベンチはもう何十年もここで時を過ごしてきたことだろう。
誰もいなくなったホームで、久しぶりに僕はそのベンチに腰掛けた。あの頃と同じ少し左寄り、空いている右側にはいつも彼が座って居た。目の前の風景は何一つ変わっていないというのに、隣にいつも居た彼が居ない事が酷く不自然に感じる。
あの頃野球部だった彼と吹奏楽部だった僕は、部活が終わった後このベンチで待ち合わせをして一緒に帰る約束をしていた。大抵僕の方が先に来て本を読んだり音楽を聞いて待っていた。
「ごめんなー、遅くなって。」
「いいよ、別に。」
「怒ってる?」
遅れてきた彼はベンチの右隣に腰を降ろし、僕の頭を撫でるのが癖だった。僕らは他愛もない話しをしながら電車を何本か見送って、人気がない一瞬を見計らいキスをし、学生カバンの下で繋いでいた指先からお互いの感情を探り合った。
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