第1章

2/9

55人が本棚に入れています
本棚に追加
/9ページ
「菜月、ごめんな。こんなことになって。君はてっきり了承してくれているものと思っていたからさ」 今夜は遅いのでひとまず休みましょう、ということになり、あたしは智樹さんに『あたしの部屋』というものに案内された。智樹さんは広い廊下を歩きながら、申し訳なさそうにそう言った。 「そんなこと、ないです。確かにかなり驚いたけど……。でもあたしの方こそ、こんな良くしてもらって申し訳なくて」 智樹さんはあたしでよかったの?智樹さんこそ結婚、嫌じゃないの? あたしは、その質問を心の中で繰り返しながらも、口に出すことができなかった。 今まで、遠くからしか見ることのできなかった憧れの人に、そう質問して、もし少しでも嫌だというそぶりを見せられたら、落ち込んで立ち直れなくなりそうで恐かった。 「さあ、ここだよ。俺の部屋は一応隣だから」 それを聞いてあたしは少しドキリとした。さっき家元が言った言葉を思い出したのだ。 「まだいろいろ慣れてないだろうから、部屋は智樹と別にしてある。おいおい同じ部屋にしてあげよう」  さらっと言う家元に奥様が咳払いをした。 「あなた。こういうことはデリケートなんです。もう少し気をつけてくださいね」 智樹さんも「まったく」と言ってあきれたように笑っていた。 部屋が隣というだけで、あたしは少し緊張してしまう。 「大丈夫だよ。その……無理やりどうにかしようなんて思ってないからさ。菜月が安心して暮らしてくれるのが一番だから」 『あたしの部屋』のドアを開けてくれながら、智樹さんも、なんといっていいのか困ったような顔をしていた。 そうか、どうにかしようとは思ってないのか。 あたしは、安心したような、ちょっと残念なような複雑な気持ちになりながらも顔が赤くなるのを感じ、それを隠すように部屋の中に入った。 でも、足を踏み入れた瞬間その部屋に驚き、入り口で動けなくなってしまった。
/9ページ

最初のコメントを投稿しよう!

55人が本棚に入れています
本棚に追加