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歪む視界で男を見た。
寸分違わぬ笑顔で彼はそこにいる。
もう表情を変えることはない。もう声を上げることもない。その唇で「坊っちゃん」と呼んでくれることは、もう、二度とない。
「……ばかやろう。ばかやろう。ばかやろう……っ」
まっすぐ向かい合って、物言わぬ相手に向けてグライヴは言葉を投げる。
返事がないことなど判りきっていても、しかし言わずにはいられなかった。
「お前なんか……お前なんか、大嫌いだ。いつもへらへら笑って、いろんな女に目移りして、ばかなことばっか言って……」
ぽつり、と。降りだした冷雨がグライヴの体を濡らす。
それでも燃える体の熱が冷めることはなかった。
歯を噛み締めてグライヴは続ける。
「──大嫌いだ。大っ嫌いだ。お前なんか、大嫌いだったんだ!!誰が守ってくれなんて頼んだんだよ!誰が助けてくれなんて言ったんだよ!勝手に助けに来て、勝手に守って、勝手に死にやがって!」
見えるのは男の顔だけ。
聞こえるのは雨の音だけ。
他の何者もグライヴと男の世界を阻むものはない。
「誰が!!誰がッ!……誰が……死んでいいなんて言ったんだよ……ばか……おれのこと好きなんだろ。独りにしないんだろ。幸せにするんだろ。だったら最後までやり通せよっ!お前おれのこと何にも分かってない!だっておれはっ──!」
「おれは」。言いさして、喉が震えた。
嗚咽ばかりが漏れ出でて言葉が出ない。
耐えきれず男の胸に崩れ落ちるグライヴ。
冷たくなった体に抱きついて、グライヴは泣いた。
生まれて初めて声を上げて泣いた。
一頻り泣いて、ようやく雨が小降りになった頃、グライヴは言葉の続きを紡ぎだす。
「……おれは、お前が、好きだった。どんなに、辛くても……お前がいるって思えば、さびしくなかった。独りじゃないって、思えた。だから──だから……死ぬなよ、おれを置いてくなよぉ……!お前がいなかったら、おれ、独りになっちゃうだろ……!」
お前に伝えたかった。
なのにどうしてお前はいない。
どうして伝える前に逝ってしまったのか。
お前が好きだよ──と。ありがとう──と。そう一言伝えたかっただけなのに。
だからおれは、お前が大嫌いだ。
終
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