優しい匂いに誘われて

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森を抜けた先には木造の小さな小屋が立っていた。 明らかに自然物ではない、人の手による人工物である。 魔獣の島だと聞いていたが、もしや人間がいるのだろうか──? そう訝って扉の前でジッとしていると、不意に見つめていた筈の扉が動き始め、開いた隙間から淑々たる声が漏れ出てきた。 「どちら様でしょうか?」 「…………!」 予想だにしない事態に──声は出さずとも──ワタワタ慌ててしまう少年。 そんな少年を、扉の向こうからやって来た紫髪の魔獣は見下ろしていた。 服から伸びる四肢は黒き獣毛に覆われ、彼女が人ではないことは自明であった。 「おや、随分と小さな子ですね。森で迷ってしまったのですか?」 「…………」 そうではない、と伝えたくとも、少年の喉は言葉を紡ごうとしない。 精一杯頭を左右に振って紫髪の彼女の言葉を否定すると、魔獣は僅かに首を傾ける。 だがすぐに得心がいったようで、「あぁ」と声を洩らすと頷いて、柔らかく破顔して言う。 「無理に喋らずとも構いませんよ。迷ったのではないにしろ、折角の縁です、ご飯を召し上がって行くと良いでしょう」 「どうですか?」と問われ、少年は紅い双眸を伏せて逡巡するが、それでも奥から漂ってくる香ばしい香りに空腹は勝てず、静かに縦に首を振った。 直後、獣の腕が伸びてくる。 一瞬恐ろしさを感じて目を閉じ、身を縮めるが、到来したのは優しさに溢れる手のひらだった。 「えぇ、分かりました。……オウロ、お客様ですよ」 「んー?……あぁ、別にいいぜ。むしろ大歓迎だ。感想もらえりゃな」 紫髪の魔獣のそのまた奥から黒い耳が覗いて言葉を紡ぐ。 どうやら歓迎してくれるようだ。 紫の髪を微風に靡かせる彼女を見上げる。 少年は母の記憶は無いが、きっと母親とはこういう物なのだろうと思った。 恐ろしさはいつの間にかどこかに消えていた。 終
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