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――――――
「麗香、君とはもう会えない」
スーツ姿の彼が、まるで煙草の灰をポトリと落とすように素っ気なく言った。
「……どうして?」
私はカクテルグラスから唇を離し、シェーカーを振るバーテンダーに視線を置く彼の横顔を、まじまじと見つめる。
「君は俺に嘘をついていたね。幼い頃に父親が他界したなんて嘘だ。君には最初から父親なんていない。水商売のシングルマザーから生まれた娘…そうだろ?」
「……」
「悪いが、君の事を色々と調べさせて貰った」
すっかり夢から覚めた様な顔をして、冷ややかに私を見る。
「……そう。だから?このご時世、シングルマザーから生まれた子供なんて珍しくも無いでしょ?」
私は小さなため息をつき、これ見よがしに口もとに笑みを貼り付けた。
「シングルマザーが問題なんじゃ無い。父親が誰なのかも分からない女性と僕が、深い関係を持っていることが問題なんだ。君は僕には相応しくない」
「相応しくない?お母様にそう言われたの?」
「……君には関係の無いことだ」
彼は眉間をピクリと動かし低い声を落とした。
ああ、図星か。
何も結婚の約束をした訳でも無いのに、バカバカしい。時代錯誤もいいところ。
将来有望な青年実業家?――単なるマザコンのボンボンね。
「そうね、私には関係無いわね」
ククッと喉を鳴らすと、目の前にあるカクテルチョコを一粒口に入れた。
「僕は今から大事な商談があるから失礼する。短い時間ではあったが、君と過ごした時間は楽しかったよ。さようなら」
そう言って、彼はカウンターの上にスッと手を乗せた。
今から大事な商談?
それはそれは、デートの約束の夜に都合よく商談が入ったものね。
君と過ごした時間は楽しかった?
取って付けた様なキザなセリフが耳に障る。
「…それはどうも。さようなら」
立ち去る彼が置き去りにしたのは、カウンターに置かれた一万円札。
そして、
「…まさか、こんなに早くばれちゃうなんてね」
グラスの中で揺れるマルガリータに視線を落とし、自嘲する無様な女。
チョコを潜ませるバッグにチラリと視線を移す。
「…良かった。渡す前で。危うくもっと惨めな女になるところだった…」
口内に残るチョコの甘ったるさをカクテルで流し込み、着飾った自分を脱ぎ捨てるように大きな息を吐いた。
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