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この句は、掛詞により二通りの句を成す。即ち、
東風あれど
融けぬ氷面下
潜む鯉
愛あれど
解けぬ紐許
密む戀
前者は、寒冷期を耐え忍ぶ淡水域の王者(ともすれば暴君)、「鯉」を動機に詠まれる仲冬から早春への句、
後者は、「愛」を「東風」の掛詞として、秘められた激しい「戀」を詠んだ晩冬初春の句もしくは川柳、となる。
また、俳句全体を「俳諧連歌の発句」(上句)とし付句(下句)を添えて、『能登越中戀歌(後掲)』を詠むことも可能とする(下述「東風」註釈参照)。
季題は東風(あい)。
季節は七十二候の東風解凍(とうふうかいとう)、即ち二十四節気の立春における初候。
蛇足だが現実的に見れば、日韓中問わず二月初頭立春、即ち一年の中寒さの頂点にあたる時期に、河川湖沼の氷が融け始めることは南方太平洋側を除いてあり得ず、実際の現象はこの『鯉の句』の詠い上げる通り『東風あれど融けぬ氷(面)』となろう。
東風:
東風を雅語では一般に「こち」と読み、春に時折強めに吹く東寄りの温暖な風を指す。東風解凍の由縁であり、またそれ故春の季語ともなる。
一方同綴別読に「あゆ」があり、これは日本海沿岸の「あえの風」や「あいの風」に由来すると考えられるが、後二者は春から夏にかけ概ね緩かに吹く海寄りの温暖な風を指す。日本海側の海風の風向は専ら北西から北東寄りであり、ここで字綴と矛盾が生じることとなる。ただし北陸地方の一部では北東から東寄りであるため、音韻・字綴・語義及び季題の条件を全て満たし得る地域として、富山湾沿岸、即ち能登半島東岸もしくは富山平野を挙げ、この句での解釈はこれに限定するものとする。
再度蛇足、二十四節気は二至二分を基準に設定されたため実際の季節感を反映しないものがあり、特に四立は体感と異なることが多いようである。故にこの句で詠まれる立春も、晩冬へ向かう冬の頂点と解釈して然るべきであろう。
愛:
慈愛・博愛・愛情・愛惜等を包括的に含意した、一般通念的な広義の愛として好い。ただし、性愛を中心とした自己欲求による渇望のみ除外。ギリシャ語「αγαπη(アガーペー:愛顧等に相当)」を想念しても好いが、キリスト教神学における「agape(アガペー:真の愛として教義化)」とは明確に一線を画するものとする。
またこの句の季題「東風」と掛詞を成し、「鯉-戀」等諸々の掛詞と密接に連関し合いながらより多義的重層的な句想を成す、として鑑賞されたし。
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