1年後

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「おい、今日の夕飯……」 息子が食卓に置かれた大きな丼をのぞいている。 「おうどんだけど?」 しかもあんたの大好きな太麺よ。 「見りゃわかる」 息子が丼の中を指差した。 「……またスーパーで安かったのか?」 息子の人差し指の先にあるのは、小口切りにしたネギと、細く刻んだ油揚げ。 そして、大量のなると。 本当は特売でも何でもない。 親ばかだけど――この子の気持ちが泣くほど嬉しかったから。お祝い……ってわけじゃないけど、あのときと同じ食事を作った。 1年前、この子がこの家を出ていくときに食べた、なるとが乗ったおうどんを。 なるとなんて普段私はあまり使わないのだけど、華やかだからお祝いにと思ってその日は乗せた。 それを息子が意外と喜んでいるように見えて、ずっと覚えていたのだ。 「伸びるから早く食べなさいよ」 「わかってるよ」 息子が両手で丼を持ち上げ、汁を一口すすった。 息子は、一口食べてそれが美味しかったとき、無意識に小さくうなずく癖がある。 「ふふ」 「なんだよ」 「なんでもないわよ」 今日のおうどんも、美味しかったらしい。 「ねえあんた、彼女いないの?」 私の爆弾投下に一瞬息子の箸が止まったが、 「……いたときもあったけど、今はいない」 意外と素直に答えてくれるんだなと感心する。 そういえばこの子は、私が質問したことにはそれなりに答えていた気がする。 まともに答えてくれないときもあるが、今思えばそれは――私がごちゃごちゃと決めつける言い方をしたときかも知れない。 「ねえねえ、なんであんた、部活行かなくなったの?」 「はっ? 何年前の話してんだよ」 「何年前だっけねぇ」 息子の箸が今度はしばらく止まる。 「……土日も部活あったし、朝早かったり夜遅かったりだし、遠征とか、用具とか、金もかかるから、辞めた」 それは――私への配慮なのだろう。 当時、朝練で早く出る食べ盛りの息子へ、昼のお弁当以外に、朝連と放課後の部活のあとで食べるおにぎりを毎日作っていた。 練習試合や大会には保護者が交替でつき、送迎などの世話をした。女手一つで息子を育てるために働いていたから、それらが苦にならないと言えば嘘になる。経済的にも、時間的にも。 「子供にそんなこと心配させてたなんて、私もまだまだねぇ」 「今頃気付いたか」 「今頃気付いたわ」 本当に、優しい子なのだと、今頃気付いた。 高校3年のとき、自動車学校に行かなかったのもきっと、同じ理由だろう。 でもそれを確かめる必要はない。 大事な一人息子の行動は気になって仕方がないが、何でもかんでもはっきりさせることだけが大事ではない気がする。 でももうひとつだけ、聞いてもいいだろうか。今ならすんなり聞けそうな気がするから。 「ねえねえ」 「何だよ」 「会社は、何で辞めたの?」 息子の箸が三度(みたび)止まる。 「あんたなりの理由があったんでしょ?」 部活や自動車学校に行かない理由と同じではないはず。親の手はいらないし、お給料だってもらえたのだから。 「辞めた理由は、要するに、簡単に言うと……」 「うんうん」 「オレオレ詐欺とかで、母さんコロッとだまされて大金渡しそうだなって思ったから」 は?と口が開く。 「バカねえ、うちにそんな大金あるわけないでしょう」 「……わかってるよ」 息子が会社を辞めた理由の本当のところはよくわからないが、私なりに都合よく解釈をしてみると、離れて暮らす母親を色々と心配してくれたのだろう。そういうことにしておこう。 「ねえねえ、母さんのなるともあげるよ」 「いらねーよ、なるとばっかり乗せんじゃねえよ」 私のかわいい息子は、バカがつくほど優しいのだから。
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