ここにしか咲かない花

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ここにしか咲かない花

 小さな空港の正面玄関を出た私は、目を閉じて息を吸った。  「ただいま」  そう叫びたい気分だった。  千歳空港から羽田空港を経由し、那覇空港へ。そして更に45分。私はようやく、沖縄の宮古島に降り立った。現在16時過ぎ。ほとんど1日がかりの旅。  ー2年前の夏も、私はこの地にいた。  その頃こっちで出会った人に言われた言葉が、ずっと忘れられなかった。  『みんな此処で元気になって、それぞれの場所に帰って行くんだよ』  いま自分に必要なのは、此処での生活だと思った。  山もないし川もない、札幌とは真逆の土地だ。  持っていたものは、全て処分した。  アイツと繋がれる唯一のスマホも。通信手段も、こんな小さな島では必要ないって事を、前に来た時で分かってたから何の不安もなかった。此処での仲間とは、する事で間に合っていたし。  飛行機で硬く小さくなった体を、大きく伸びをして開放する。  そこへ、懐かしい顔が現れた。  「敦子!」  「葵ちゃん!やっと帰って来たーっ♪」  私達は人目もはばからず抱き合った。  「おかえりっ!」  敦子の言葉に、ちょっと気持ちが溢れそうになる。  「ただいま」  敦子も実は、道産子だ。26歳。菅っちと同じ歳の彼女とは、サロンの同僚として出逢った。意気投合して、一番仲が良かった。  繁忙期のサロンは尋常じゃない位の忙しさで、オープンからラストまでひっきりなしに予約が入る。その期間限定のスタッフも毎年集められていた。  今回私はその契約社員としてではなく、正社員だ。  札幌のサロンを辞める事を決め、菅っちとも離れようと決めた時、私は社長に連絡をとった。以前から「いつでも戻って来い」と言われていたから、すぐに採用が決まった。  前回は寮として借り上げたアパートでの共同生活だった。正社員になった今は、お給料も変わったし寮も入れない。一人暮らしのスタート。部屋は、敦子や店長が探して決めてくれている。  「葵ちゃん、おうちは明日ゆっくり準備するとしてさ、まず海行かない?」  敦子が、気を利かせてくれる。  「うん、行きたい!」  敦子の運転する車の助手席で、2年ぶりの景色を眺める。  到着したのは、島の最東端にある東平安名崎(ひがしへんなざき)だ。此処は日本百景にも指定されているから、平日のこんな時間でも人で賑わっていた。  観光バスも訪れる広い駐車場に車を停め、先端にある灯台まで400mの遊歩道を進む。  横を通り過ぎる人力車。琉球民謡の弾き語りも聴こえてくる。  目の先には一面の緑に青い空、そして白い灯台。そこから更に歩いて、岬の根元の小高い丘の上に上がる。  そこに広がるのは、360度見渡す限りのコバルトブルーの海だ。  そして歩いて来た方角には、断崖や隆起珊瑚礁の石灰岩も広がっている。  また此処での生活が始まるんだと思うと、胸が高鳴った。  でもそれと同時にもう2度と会えない彼を想った。「彼にも見せてあげたい」と、そう思ってしまうのは何だろう。  これからしばらくは、そういう気持ちとも闘わなければならないのか。  「アアーーーァァアアーー!!!」  突然叫び出した私に敦子がビックリして、途中で裏返ってしまった声に爆笑した。  「アーーーーーー!!!」  便乗して、敦子も叫ぶ。  『お腹減った!』  2年前から考えることが同じな私達は、岬を後にした。    その夜は職場の仲間や懐かしい顔ぶれが居酒屋に集まってくれて、『オトーリ』が始められた。  宮古島にしかない独自の酒文化は、2年前から私のお酒を強くした。簡単に言うと、一つのグラスを順番に回していく回し飲みだ。『親』が何でもいいからスピーチして、皆んなはそれを静かに聞き、親が飲み干し、そして親から注がれたお酒を飲み干しながら隣へ順番に回していく。それを、延々と最低でも全員が『親』になるまで繰り返されるのだ。  そして私は、酔った勢いも手伝って『もうセカンドにはならない!』と高らかに宣言した醜態を後から知らされる事になる。  …お酒は怖い。  ーアパートのリビングからは沖縄の海が一望できた。ちょっと郊外だけど、その分家賃も安い。  島の物価は意外にも高くて、2年前に初めてスーパーに行った時には驚いて声が出た。北海道のが断然安いのだ。輸送費がかかるせいだから仕方ないと思い知る。  玄関のドアを開けると、目の前にはサトウキビ畑が広がっている。  2つ隣の部屋からは、いつものように(つたな)三線(さんしん)の音色が聴こえてくる。  手に入れたばかりの車に乗り込んで、エンジンを掛けた。  前に来た時に店長が乗っていた車に憧れていた私は、新しいのに乗り換えるという事で譲り受けた。その念願の水色のPAO(パオ)はとても古い車で、サビだらけだ。だけど沖縄の海にとっても映えた。札幌に帰ってからも何度か見掛けて、その度に目で追ってしまったその車に、今乗っている。  こっちに来てから初めての休日。  全開にした窓から風を受けながら、青い空の下を車を走らせる。ただそれだけで、いろんなことをリセットできる気がした。前に来た時も地元の人達に「北海道っぽくないな」と言われていた私には、この島が合っているのかも知れない。  全長1,425mもあるという長い大橋を渡って、池間島(いけまじま)を目指す。右を見ても左を見てもキラキラ輝く海の真ん中を車を走らせるのは、最高に気持ちが良かった。  橋を渡ってすぐ右手には売店や食事処などのドライブインや展望台があって、脇からは砂浜に降りることができる。好きな眺めの一つだった。  ー海を眺めながら、自然と菅っちのことを想う。  最後の日の朝、私は彼にハグをして「ありがとう」と言って家を出た。返される鍵を受け取る時だけ、涙が出そうになって我慢した。  職場に着いた私達はいつものように仲の良い姉弟(きょうだい)みたいに過ごし、健太郎もいつもと変わらない一日を過ごして皆んなでたくさん喋ってたくさん笑った。まるで、明日も会うかのように。  別れの時、皆んなから代表して私に花束を渡してくれたのは菅っち。  握手をして「元気でね」と私が言って、彼も「葵もな」と言った。  それが、私達の最後の言葉。  それから2日でアパートを片付けた私は、3日目には宮古島に居た。  …冷たい女だと思っただろう。もしかしたら怒って恨んでるかも。最後まで私は「好き」だと言えなかったし、言わなかった。それでよかったのか、今でもわからない。でも確かに私は、彼のことが大好きだった。周りから見たらただのかも知れないし、菅っちだってそう思ってたのかも。そうだとしたら、ちょっと悔しいけど。  キラキラと輝くエメラルドグリーンの海面に、ウミガメの小さな影が映る。  この島に見守られながら、私はまた元気になって北海道に帰ろう。  風が吹いて、過去最高に短くなった私の髪をそっと撫でていった。      
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