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その名はあまりに有名であったが、気にする余裕は無かった。多少の予測もしていた。しかもどうやら、リツ子の旧友という言い訳らしいので、下手に門外漢なことは言えない。ここは無難にらしくするのが一番だろう。
「いえ、とんでもない。誘ってもらえてわしもありがたかったし嬉しい。しかし、失礼なことで少し疑問なのですが……こんなに儲けられたなら、一生遊べるくらいの金はあるんじゃ……」
「それが、旦那様は敬虔なクリスチャンでありまして……特に自己犠牲の精神を強く持ったお方でした。権力維持、生活、予備の財産以外は全て、紡績業と日本の発展の為に費やしておりましたが故、貯金はあって無いようなものでありました」
「そうですか、心中お察しします」
「ありがとうございます。しかし、最も傷ついているのは奥様ですね……」
「やはりそうなのですか……」
空気が、居心地の悪い静けさを帯びた。つかの間、老執事は場をとりなすように笑って言った。
「すみません、これは言ってもどうしようもないことでした。そら、ここが高嶋リツ子の部屋です……奥様、山代様がいらっしゃいました」
ノックと共に呼びかけを行った。どうぞと声がしたので、わしらはドアを開けて中に入る。滑りがよく音一つ立てないドアを見てわしは物騒にも、忍びが喜ぶつくりだと感じた。夜襲の際など、古いドアの軋む音で人が起きたりする時も少なく無いからだ。
わしは、リツ子と互いに一礼しあって、テーブルを挟み向き合うように椅子に座った。
老執事は、ドアのそばに突っ立っていたが、リツ子に自由にしていいと言われ、その場で懐から茶皮のカバーを付けた本を取り出し読み始めた。
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