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まあ、彼らがわしら貧困層をハエの様に邪険に見ていることと態度については本当のことだ。だからかは知れないが、わしが見る権力者の姿はどれもこれもとても見苦しく、卑劣な色をしていた。しかし、わしはそれが自らの我執と願望をも含んでいるとは微塵も考慮しなかった。仮に後者を事実と確信したとしても、わしはその醜さを、更に歪んだ審美眼で、わしの憎しみは権力者の豚共を内腑から焦げ肉にしているものだと、分厚い油絵の具を上に重ねるみたく、まるで狂ったように信じ込み、誇らしく思ったに違いなかった。そして、いつものように冷徹な赦しをもってして殺しを決行するのだろう。
わしの憎しみの劫火をまんま受け止める権力者達は、どこまでも憐れだったろう。有る意味では勝手を被る被害者同然でもあった。同時に、それに相応しく腐りきったもの達であるとわしは信じている。彼らの歪んだ幻もまた、わしらの中に住んでいたという事実を見逃してはならないのだ。貧民層の多くが彼らを嫌いであるように、彼らも抵抗力の強い貧民層が嫌いだった。それらには因果性は無い。わしらの意識それぞれは独立し、憎しみをぶつけ合っているに過ぎなかっただけなのだ。『言うことを聞かないから気に入らない。生意気だ』。双方の意見をまとめれば、こういうことに過ぎないのだ。
……その、振り廻る様な気色悪さに、きっとわしは感覚的には気づいていたのだが、しかし知らぬ振りをしなければならなかった。
何故なら、奴ら権力者達はわしの兄を間接的ではあれど殺したからだ。理由はそれだけで充分だ。それでわしは奴らを憎み続けているのだ。絶対に許せやしない。中途半端な善人の理性に引っ張られるくらいならまだ、混乱の先導者になって人殺しをした方が生き甲斐があるというものだ。
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