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 兄の、東京に出て新聞をやるというささやかな夢想を断ち切ったのは、他ならぬ内政だった。貧民であるわしらには、一縷の望みもなくなった。……権力がものを言う時代だ。  以下の、簡単に述べる歴史に、彼らの罪は存在する。  1900年。ストップに失敗した綿糸業の全体的な輸出量増加によるインフレーションは、日本金貨幣の生産限界を超えさせ、金鉱の超過生産を引き起こした。景気は良好となったが、国の貧富の格差は酷いものとなり、炭鉱労働者や、工女の労働環境は劣悪化していき、奴隷同然の場所も生まれていた。こうした事から、国を強く信頼する人がいる反面、国への激しい疑心暗鬼の心を持つ者が生まれるようになっていた。明治日本の、進歩目覚ましい華やかさは失せ始めていた。どこか陰鬱とした雰囲気が東京の空にまで充満していた。────こうして日本は明らかに、分裂を始めていた。  この格差のバランスの決壊を契機に、侵略対象になるやもしれぬという現状打破を重視して対露政策を推し進めて英国に近づくようにする政治家と、金融と労働の政策を改めて国民の信頼を取り戻すのが先決と言う政治家の対立が、チェスの白黒の様に明らかになってしまった。  かの有名な三国干渉の折に味わった列国への屈辱と怒りが勝るか、それとも内部崩壊への恐怖と不安が勝るか。議論は平行線だった。しかし、時間は限られる。ロシアは南下を推し進め、何れこの日本までもを……その時にはもう、何もかもが遅いのだ。  そして、ついに彼らは焦燥から、短慮も甚だしいことに互いを裁き始めた。最初は過激派の政治家が少し『忍び』の者を使って手を出したのだろう。やられたらやり返す……武士道は仇討ちとみつけたりとは言ったものだ。何故、誰も止まらなかったのだろう。それで対応速度を大幅に下げた内政は、工場の権力闘争の激しさがさらに増していくことを止められやしなかった。なんと情けないことだろう。  今や炭鉱地帯の近隣の農民は権力者に逆らうことすら叶わない。脅迫に近い形で、労働させられる……。そうしてわしの兄は死んだのだ。過労だった。
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