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兄の死の後すぐに、わしはとある忍び一門の噂を聞きつけ、無理を言ってそこに入って、今まで十年間技を磨いてきた。殺しと暴きの時代が再び訪れたこの日本で、隠れて忍術を伝承していた忍びの者達は、再び黒い輝きを取り戻しつつあった。
そして、弱体化した日本は、ロシアに北海道を奪われ、英国とも同盟を結べなかった。その先に待つのは滅びなのか、それとも貧しい未来か。忍びがイギリス発の最新科学技術である『即昇華性蒸気機関(ハイスチームエンジン)』を武器に取り込んだことにより、殺しの世は豊かになりつつある。果たして、忍びの世界が豊かになることは正しいのか。
わしはその先は全く考えていない。わしは預言者ではない。しがない一人の忍びであるだけなのだから。
……殺った標的の敷地を脱し、わしは裏の林の中に身を低くして走りこむ。警備は驚く程に隙だらけだった。居眠りもいた。雇う者どもを間違えた主人を、本気で憐れにも思えてくる。
「あっ」
その刹那、木陰から飛び出した人影に抱きとめられた。
(しまった……!思わず油断して警戒を怠った)
見つかった以上は処分しなければならない。無駄な殺しは避けるべきだが仕方ない。自分の失態であるだけに後悔が最初に沸く。力から判断するに、女か。柔らかな感触が、必死に俺を引き留めようともがいていたのだが。
「ほんと、間抜けだわ」
少し艶やかな感じの一言とともに、突然、変な感じの接吻を食らった。手慣れたように、わしの唇を湿らせ、いやらしくまとわりつくものだから、たまったものではない。うえ。ゾクリと背筋を上る寒気に、悲鳴でも上げてやりたい気分だ。わしはそいつを突き放すと共に、人物を特定した。
「……ユキっ。お前は、やめないかっ」
小声で叱咤すると、ユキはまるでそれを無視するかの様に独りごちるように言葉を返した。この女忍に、既に女性としての倫理観が無いのは知っているが、未だに慣れない。人の死を味わい尽くしたであろう彼女の唇は何処か不気味な魔力を帯びていた。
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