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元号が明治に変わってから、もうすぐ5年になるだろうか。
柱に掛けられた日捲りを横目に見やりながら、優護は小さく息を吐き出した。
たちまち視界は紫煙で煙り、煙草独特の苦い香りが鼻腔をつく。
庭に目を向けると、大きな桜の樹が、若々しい青葉を繁らせ、少し湿り気の帯びた夏の風が、背中で1つに纏めた長い黒髪を優しく撫でる。
空を見上げれば、抜けるような高い青空に、燦々と輝く太陽が見える。
いよいよ夏か…
そう心で呟き、再び長煙管を口にくわえようとした時だ。
背後の障子が開き、大柄の老爺が現れる。
「なんだィ。」
柳眉をしかめて自分を見上げる優護に、老爺はそれは盛大な溜め息をついて腕を組む。
「師匠に向かってその口の利き方はなんでェ。」
「都合の良い時だけ、師弟関係を持ち出すなィ。」
成人男性にしてはやや華奢な、細く白い項を無造作にかきむしりながら毒づくと、優護は面倒臭そうに縁側から腰を上げて立ち上がる。
「どこに行く?」
「正次郎ンとこ。」
「阿呆か。誰が遊んで良いと言った。お前にゃ他に、やることがあるだろィ。」
老爺の言葉に、優護は益々不快感を露にする。
「誰が、あんな女の面倒なんて見るかィ。てめぇの女くらい、てめぇで見やがれ。」
「優護…」
困ったように眉を下げる老爺に構わず、玄関に通じる襖を開け放ち、優護はその場を後にした。
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