6人が本棚に入れています
本棚に追加
02/22 (日)
オスカーって自由に楽しんでいて正直者でいいよね、って言われると、これはまたしめたって思うんだよね。
実際のところ、俺だって憧れる性格とかるし、それを真似てる部分もどこかにあるかも知れないし、そうでないところもあるかも知れない。けど、結局そういうの含めて、自分の性格に忠実に生きていれば、本当に自分のことを尊敬してくれたり、好きだって言われたとき嬉しく思うし、自分のことをみてくれているって思うからさ。
ただ、俺の雰囲気というか、誤解されやすいのもまたその性質だったりして。
だからこそ、明るい性格に結構驚かれる事も多いんだけど。まぁ要は素直に生きるのは、捻くれてからの特権だと思うわけさ。
素直に生きる面白さってのは、それを自覚して楽しめるものだと思うし。いや、それが全てではないけれどね。
考えるっていうものが、長所であり短所であり、才能だとも思っている。結局はそれもまた一つ上の次元にとっては誤解に過ぎないし錯覚だ。
人は永遠に誤解し続ける生き物だ。
……というのは、案外自分の中での格言だったりする。だからこそ、それすら大切にした生き方が出来ればな、とは思う訳だ。
なんか、そんな事を考える夜が周期的に訪れている事に優越を抱いている。いや、嬉しく思ってる。これがいつまで続くかは分からないけど、やっぱり俺は今という時間がとても大好きらしいんだ。
それが例え、怠惰なものでそんな自分をとても醜く思う時間だとしても。
それすらも愛しく思える自分というものが、とにかく愛しい。そんな自分、凄いぞ、ってね。生粋のナルシストなんだ。顔は嫌いだけど。
今は、二度と訪れないというけれど、俺はそうとは思ってない。いつだってあの時の今を、俺は知ってる。
それを過去とは思ってない。
時間は記憶と独立したものだ、とか、まぁ論理的なものはあるけれど、そうじゃなく。
だから、悲しい時間は特に好きだ。嬉しい時よりね、ずっと心に残り、記憶に深く刻み込まれるんだ。
それは何故なんだろう、と考えてみたら。
今ふと思いついたのは涙が素敵だから、なんだろうね。「今ふと思いついたのは」って書いたあとに思いついたね。
悲しい時間は、いつでもあの頃の優しくて残酷で、素敵でしょうがなく切ない時間をくれるんだ。
最初のコメントを投稿しよう!